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猿島ガイドツアー ボードデッキから出発
KSN参加者20名を2班に分け、ガイドの説明を受けながら島内を見物する。 |
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猿島ガイドツアー 切り通し
切り通しは要塞跡が続き、ポイントごとにガイドから説明がある。兵舎跡や弾薬庫跡などは以前自由に立ち入ることができる頃の落書きがひどい。現在は通路と施設の2箇所で鍵がかけられ、ガイド持参の鍵で立ち入ることができる。ただし、照明設備はなく、ガイドの懐中電灯のみであり、折角の写真もほとんど使い物にならなかった。
切り通し(要塞跡)
かつて実際に使われていた兵舎や弾薬庫などがそのまま残るエリア。貴重なレンガ造りの旧要塞施設は「国史跡」に指定されています。 |
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猿島ガイドツアー 切り通し
猿島要塞
要塞とは、外敵を防ぐための防御施設です。猿島の要塞は東京湾口の守りを固めることを目的として、明治時代中期に明治政府が建造しました。すべての施設が岸壁を掘込んで道られているので、島の外からは、まったく見えない構造になっています。
さて、露天掘りの幹道を歩いてみましょう。幹道に沿っていくつかの部屋が並んでいます。小窓のあるのが兵舎で、窓の無い部屋は弾薬庫です。弾薬庫のすみには、真上の砲台に弾薬を運ぶためのものと思われる井戸のような穴が開いています。
さらに進むと幹道はトンネルに入ります。トンネルの壁沿いにも、壁を掘込んで二階建ての部屋が造られています。これらの部屋も兵舎や弾薬庫のほか、病室や司令室として設けられたと考えられます。
このように猿島の要塞は、数々の工夫がされた見事な要塞でした。しかし、関東大震災で一部が崩壊したことや、飛行機や長距離砲が急速に発達したことにより、実戦で使われる事はありませんでした。
その後、猿島は第二次世界大戦中に軍事施設として復活しましたが、砲座や監視所などは新たに造られ、赤れんがの要塞は手を入れられることなく、現在まで残されたのです。 |
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猿島ガイドツアー 切り通し 兵舎跡 |
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猿島ガイドツアー 切り通し 兵舎跡 |
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猿島ガイドツアー レンガ造りのトンネル
レンガ造りのトンネルとして日本で最も古い建造物の一つ。中には旧軍の司令部跡や弾薬庫が設置されていました。現在は”愛のトンネル”とも呼ばれる必見スポット! |
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猿島ガイドツアー レンガ造りのトンネル |
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猿島ガイドツアー レンガ造りのトンネル
フランス積れんが建造物
日本でのれんがによる建築は、幕末の長崎に始まり、文明開化とともに全国に広がりました。しかし、そのほとんどは地震や老朽化により失われしまいました。近年の日本建築学会の調査によると、明洽20年以前のれんが建築物は、現在、全国では22件が確認されているのみです。猿島の要塞跡もそのひとつで、愛知県産の品質の高い赤れんがを用いて、明治時代中期に建造されました。
ところで、れんがの積み方は、大きくは「フランス積」と、明治20年頃から主流となった「イギリス積」に分けられます。
この要塞はフランス積によるもので、フランドル地方(ベルギー西部〜フランス北端にかけての北海沿岸)で発達したため、正式にはフランドル積と言います。
フランドル積のれんが建造物は、もともと数が少なかったこともあり、この要塞跡も含めて全国で4忤が確認されているのみです。
このように猿島の要塞跡は、「エキゾチックな雰囲気」もさることながら、建築史上とても貴重な建築物といえるのです。 |
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猿島ガイドツアー レンガ造りのトンネル
照明設備がないので、ガイドが持参の懐中電灯で照らして説明する。 |
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猿島ガイドツアー レンガ造りのトンネル
砲台地下施設
暗闇で撮った写真のため、文字の判別がつかない。 |
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猿島ガイドツアー レンガ造りのトンネル出口
ここから猿島の高地に向かい、展望台などを巡るがガイドの説明では108段の急坂を昇るなど腰の負担がかかるとのことであった。事前にサポーター装着など腰痛対策をしており、ここまでさして障害は出ていないが、見物途中で腰痛が発生した時最後まで歩かないと出発点に戻れないとのことであった。
ガイドと話した結果、ここから出発点には楽な道を戻れば良いとのことでここで見物を断念、出発点のボードデッキで待つことにした。これは正解だったようで、最後まで見物した人から急坂はきつかった、との話があった。 |
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猿島ガイドツアー レンガ造りのトンネル出口 |