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吉原遊廓の遺構巡り(三ノ輪〜吉原〜山谷堀公園)H281004
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地図上の歩行距離 4.4km(システムの機能上、実際のルートと違う場所があります) Nkm/Mkm N:区間距離、M:起点からの累積距離
経路 A:三ノ輪駅〜浄閑寺(投込寺)〜土手通り〜B:一葉記念館(1.0km)〜長國寺〜
C:鷲神社(0.5km/1.5km)〜せんわ通り〜D:吉原弁財天(0.4km/1.9km)〜
吉原大門交差点〜日の出会商店街〜吉野通り〜E:高尾太夫墓所(1.3km/3.2km) 〜地方橋通り〜山谷堀公園〜F:待乳山聖天(1.2km/4.4km)
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浄閑寺(投込寺)〜一葉記念館〜鷲神社
三ノ輪駅から大関横丁で右折、日光街道へ進み次の小路を右折すると浄閑寺(投込寺)がある。浄閑寺は、安政2年(1855)の大地震の際、たくさんの新吉原の遊女が、投げ込み同然に葬られたことから、「投込寺」と呼ばれるようになった。花又花酔の川柳に、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と詠まれ、新吉原総霊塔が建立された。墓所には永井荷風文学碑や、山谷日雇労働者のためのひまわり地蔵尊がある。
日光街道を戻り、大関横丁交差点で左折、明治通りへ進みY字路の三ノ輪二丁目交差点で直進、土手通りを南下する。日本堤一丁目交差点で右折し、左に吉原ソープ街を見つつ西進してよし原揚屋町一丁目案内柱の先のY字路で右折する。飛不動前交差点手前で右折すると一葉記念館である。
一葉記念館前を西進、床屋前で左折して飛不動前交差点を過ぎると飛不動尊がある。飛不動尊は近年は航空安全の守護神として有名になり、空の安全を祈願する参詣者が多い。長國寺裏参道の入口交差点で右折、西徳寺交差点で左折して国際通りを南下すると長國寺山門に着く。長国寺は明治初年の神仏分離令で一部が新たに鷲神社として分割されたが酉の市を開いている。さして広いとも思えない参道だが、酉の市の時は熊手を売る露店と参拝客でごった返し、もっと広いかと思った。長國寺から鷲神社へ向かい、広い駐車場も酉の市では多くの熊手商の露店と参拝客で溢れかえり、歩くのもままならない。御社殿で参拝後、参道を歩き大鳥居を過ぎて国際通りに出る。
旧吉原遊廓散策〜高尾太夫墓所〜山谷堀公園
国際通りの千束一丁目交差点で左折、せんわ通りを東進しカクヤス前交差点で左折してせんわ通りを北上する。吉原弁財天の新吉原花園池(弁天池)は、関東大震災で多くの人々がこの池に逃れ、490人が溺死し、供養のため大観音像が大正15年に造立された。台東区立台東病院を過ぎ、旧吉原遊廓の仲之町通りを東進する。京町通りは千束保健センター交差点で、揚屋通りは千束四丁目交差点、江戸町通りは吉原交番前交差している。吉原大門の標識を過ぎると道はS字を描いて曲がっており、五十間通りという。これは日本堤から遊廓が直接見えないようにするためと言われる。吉原大門交差点には吉原遊廓名残の見返り柳がある。
五十間通りの吉原大門交差点で土手通りを渡り、日の出会商店街へ進む。旧吉原遊廓を出て直進すると日の出会商店街に進むことから、昭和33年の遊廓廃止は大きなダメージとなり、隣接するいろは会商店街に繁栄の座を奪われた。その後、イメージチェンジを図り、今は普通の商店街である。日の出会商店街を東進、東浅草二丁目交差点で右折して吉野通りを南下、東浅草交番前交差点手前にある石の坂本ビル先で右折すると高尾太夫の墓がある春慶院に至る。この墓は、世に万治高尾、あるいは仙台高尾と謳われ、幾多の伝説巷談を生んだ二代目高尾太夫の墓という。
吉野通りの東浅草交番前交差点で右折、地方橋通りを西進し土手通りと交差する地方橋交差点手前で左折、山谷堀公園へ入る。山谷堀は吉原への通路の一つであった。山谷堀を通るので吉原通いを別名、山谷通いともいった。猪牙船などを仕立ててこのコースを使う遊興はぜいたくとされ、まさにお大尽遊びだった。山谷堀公園の意匠は様々で、左隅に簡単な溝があるだけだったり、小公園風のものもある。山谷堀に架かった橋の親柱は残っており、紙洗橋、正法寺橋と過ぎて吉野橋の浅草高校前交差点で吉野通りを渡る。聖天橋のあこがれ像を経て紅葉が始まったサクラ並木がある旧今戸橋に至る。橋場通りを南下して待乳山聖天に至る。
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