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梅が咲く神田明神H270227

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国道17号 神田明神 大鳥居 国道17号 神田明神 大鳥居 

神田明神は天平2年(730年)、現在の千代田区大手町将門塚周辺に創建。それから約200年後、平将門の首を奪い返して塚を築き、葬った。さらに、延慶2年(1309年)には将門公の霊をも相殿に祀り、神田明神と名付けた。元和2年(1616年)現在の場所に移り、江戸城の鬼門の守護神となり江戸総鎮守として現在に至る。
神田明神 随神門 神田明神 随神門 
神田明神 随神門前 御由緒 神田明神 随神門前 御由緒 

 正式名称・神田神社。東京都心一〇八町会の総氏神様で、神田・日本橋・秋葉原・大手丸の内、そして東京の食を支える市場の発祥地の氏神様として、青果市場・魚市場の人々からもあつく尊崇されております。縁結び、商売繁昌、社運隆昌、除災厄除、病気平癒など数多くのご神徳をお持ちの神々です。
 当社は、天平二年(七三〇)のご創建で、江戸東京の中で最も歴史ある神社のひとつです。はじめは現在の千代田区大手町・将門塚周辺に鎮座していましたが、徳川家康公が江戸に幕府を開き江戸城が拡張された時、江戸城から表鬼門にあたる現在の地に遷座いたしました。それ以降、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として幕府から江戸庶民にいたるまで多くの人々の崇敬を受けました。さらに、明治に入り、准勅祭社・東京府社に列格し皇居・東京の守護神と仰がれ、明冶天皇も親しくご参拝になられました。
 境内には、日本初の本格的な鉄骨鉄筋コンクリート・総漆朱塗造の御社殿(国指定登録文化財)や、総檜造の随神門、神札授与所・参拝者待合室・休憩所を兼ねた鳳凰殿、明神会館・資料館・石造日本一の大きさを誇るだいこく様尊像・えびす様尊像・江戸国学発祥の地碑・銭形平次の碑などがございます。縁結びのご神徳から神前結婚式も多く行なわれております。
 当社の祭礼・神田祭は二年に一度執りなわれ、江戸時代には江戸城内に入り徳川将軍が上覧したため、御用祭とも天下祭とも呼ばれました。また日本三大祭、江戸三大祭のひとつにも数えられております。現在は鳳輦・神輿をはじめとする江戸時代さながらの祭礼行列が、神田・日本橋・秋葉原・大手丸の内の広大な氏子一〇八町会を巡行する「神幸祭」と、氏子の町神輿約二〇〇基が町を練り歩き、神社へ迫力ある宮入をする「神輿宮入」を中心に賑やかに行われています。
神田明神 社殿、鳳凰殿 神田明神 社殿、鳳凰殿 
神田明神 境内案内図 神田明神 境内案内図 
神田明神 石獅子 神田明神 石獅子 

社殿に向かって右側にある。
神田明神 石獅子 神田明神 石獅子 

 本石獅子は、区内に残る数少ない江戸期の石造物の一つであり、当時の庶民の信仰を知る上で貴重な資料である。
「武江年表」には「文久二年(一八六二)十一月両替屋仲間より神田社前へ、岩石を積み、石にて刻みし獅子の子落としの作り物を納む」とあり、江戸時代でも幕末期に製作されたと考えられる。
 神社境内の獅子山に据えられていたが、大正十二年(一九二三)の関東大震災により獅子山自体は崩壊した。その際、子獅子は、紛失したものの、親獅子二頭は、保存され、再建された獅子山に据えられた。
神田明神 銭形平次碑 神田明神 銭形平次碑 
神田明神 銭形平次碑 神田明神 銭形平次碑 


銭形の平次は野村胡堂の名作「銭形平次捕物控」の主人公である。
平次の住居は、明神下の台所町ということになっている。
この碑は、昭和四十五年十二月有志の作家と出版社とが発起人となり、縁の明神下を見下ろす地に建立された。
石造り寛永通宝の銭形の中央には、平次の碑、その右側には八五郎、通称「がらっ八」の小さな碑が建てられた。
神田明神 八五郎碑 神田明神 八五郎碑 

左に大きな銭形平次碑がある。
神田明神 境内東側フェンス沿いの梅 神田明神 境内東側フェンス沿いの梅 

境内東側は崖になっており、フェンス沿いにポツポツと梅の若木が植えられている。
神田明神 境内東側フェンス沿いの梅 神田明神 境内東側フェンス沿いの梅 
神田明神 国学発祥之地 神田明神 国学発祥之地 

 荷田東丸は 京都伏見稲荷社家に生る 通称羽倉斎本名信盛なり 元禄十三年三代将軍家光五十年祭に勅使として 大炊御門前右大臣経光公中仏道経由日光及び江戸に下向の砌り随行して江戸に出で 享保七年まで在府せり その間各所に講説し歌会を催し且つ多くの門人を養へり その講席は当社神主芝崎邸にて後に東丸養子在満及び高弟浜松の人岡部三四真渕もこの邸を借用せり 当時神主は芝崎宮内少輔好高 その男宮内大輔好寛その舎弟豊後守好全の三代約百年に亘れり 然も好全妻女は東丸の女直子なり されば芝崎神主は歴代自ら学ぶと共に能く師東丸のために尽瘁し学園の場を供して国学振興に寄与せり 師東丸は門弟を訓ふる頗る懇切なりき 殊に元禄十五年門弟の宗偏流茶人中島五郎作宗吾等と密かに赤穂浪士のた
めに計りて義挙を扶けしはその忠直の性を知るに足る この東丸出でて吾が国学は加茂真渕 本居宣長と伝統して今日に至る 今その遺跡に記して後学の為に伝ふ
神田明神 社殿裏 藤棚 神田明神 社殿裏 藤棚 

右の赤い社は祖霊社・彰忠碑、その左には籠祖神社(猿田彦神社)があり、その左奥に裏参道(旧女坂)がある。
神田明神 裏参道(旧女坂) 神田明神 裏参道(旧女坂) 
神田明神 裏参道(旧女坂) 神田明神 裏参道(旧女坂) 

裏参道を下りて右折、蔵前橋通りに出る。
神田明神 裏参道(旧女坂) 神田明神 裏参道(旧女坂) 



 
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