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JR主催 安藤広重 江戸百景 第1回 佃しま住吉の祭 受付風景(新日本橋駅)
新日本橋〜銀座〜浜離宮〜築地〜晴海トリトンスクエア〜佃島住吉神社〜越中島(総行程8.5km)
天気は良かったが、コースは以前歩いた所の繰り返しであった。しかし、小学生以来の浜離宮や、築地周辺の歴史的なものなど、収穫もあった。 |
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JR 新日本橋駅 |
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日本橋 三越本店
銀座の中央通りを西進し、八丁目で左折、浜離宮経由で新大橋通りに向かう。 |
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日本橋 |
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日本橋 |
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日本橋の由来 |
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日本橋の由来 |
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日本橋の由来 |
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コレド日本橋
東急百貨店日本橋店の跡地に出来た。COREDOは、英語のCORE(核)と、江戸(EDO)をつなげた造語である。 |
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コレド日本橋 |
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銀座を西進 |
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ブリヂストン美術館
八重洲通りとの交差点にあり、「ジ」ではなく、「ヂ」に企業としてのこだわりがある。ブリヂストンが創業者の石橋に因み、「Bridge」と「Stone」を組み合わせた造語であることは有名。 |
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京橋の親柱
この説明板は、南詰西側にある。
京橋は昭和34年(1959年)の京橋川の埋め立てで撤去された。橋北詰東側と、南詰西側の擬宝珠の付いた親柱は明治8年(1875年)の石造である。南詰東側の親柱は、大正11年(1922年)のものである。 |
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京橋の親柱
南詰東側にある。 |
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京橋の親柱
橋北詰東側にある。 |
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京橋の親柱
南詰西側にあり、説明板の隣にある。 |
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銀座通りを彩るガイド
内容は様々で、歴史や地域の名物などバラエティに富む。 |
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銀座発祥の地碑
慶長17年(1612年)に徳川幕府により、銀貨鋳造所をこの地に設けた。当時の地名は新両替町であるが、明治2年(1869年)に銀座となった。 |
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銀座四丁目交差点
右手前は和光時計店、左のこげ茶色のビルは毎年地価日本一の鳩居堂である。 |
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銀座五丁目の風景
四丁目交差点を過ぎてすぐ、ワシントン靴店のビル壁面を飾る。反対側は銀座コアや、ライオンビヤホールがある一等地である。 |
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芝口御門跡
銀座八丁目の高速道路手前を左折、銀座御門通り沿いにあるが、見落とし易い。 |
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シオサイト |
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新大橋通りへ |
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銀座に残された唯一の鉄道踏切信号機
かっての貨物駅であった汐留と、築地市場とを結ぶ国鉄が廃止された際、記念に残された。浜離宮の手前で、道路を左に大きく曲ると新大橋通りである。 |
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銀座に残された唯一の鉄道踏切信号機 |
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銀座に残された唯一の鉄道踏切信号機 |