浜離宮
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浜離宮 公式サイト

浜離宮 入口 浜離宮 入口 
浜離宮 入口 浜離宮 入口 
浜離宮 入口 浜離宮 入口 
浜離宮 浜離宮 

承応3年(1654年)、徳川家光の子で甲府宰相綱重が将軍家の鷹狩場に海を埋め立て、甲府浜御殿を建てた。その後子供の綱豊(家宣)が六代将軍となり、将軍家のものとなって浜御殿と呼ばれた。十一代将軍家斉にいたり、現在の庭園の形が出来た。
海水を取り入れ、潮の満ち引きで池の水面を調整する潮入の池を持つ。芝離宮、清澄庭園も潮入の池を持っていたが、実際に海水が出入りするのはこの浜離宮だけである。
浜離宮 沿革 浜離宮 沿革 
浜離宮 案内図 浜離宮 案内図 

現在地は左上隅である。
浜離宮 浜離宮 
浜離宮 浜離宮 

後方のビル群は汐留シオサイト
延遼館跡 延遼館跡 

外国要人の迎賓館として、明治2年(1869年)に落成した初の石造洋館だった。明治22年(1889年)に老朽化のため、取り壊された。
延遼館跡から右手へ 延遼館跡から右手へ 
右手の野外卓広場へ 右手の野外卓広場へ 
野外卓広場 野外卓広場 
浜離宮 案内図 浜離宮 案内図 

現在地は中央やや右である。
野外卓広場 野外卓広場 
右手の新銭座鴨場へ 右手の新銭座鴨場へ 

浜離宮には2ヶ所の鴨場があり、新銭座鴨場は西側に位置し、首都高速環状線沿いにある。
新銭座鴨場 新銭座鴨場 
新銭座鴨場 新銭座鴨場 
潮入の池 潮入の池 

庭園の南側にあり、右手に中島の御茶屋がある。
中島の御茶屋へ 中島の御茶屋へ 
潮入の池 潮入の池 
中島の御茶屋 中島の御茶屋 

園遊接待のため後の六代将軍家宣が建設。火災や空襲などにあったが、昭和58年(1983年)に再建した。
潮入の池 潮入の池 
海水の池を示す水母 海水の池を示す水母 
潮入の池の水門 潮入の池の水門 
富士見山 富士見山 
富士見山からの風景 富士見山からの風景 
浜離宮 案内図 浜離宮 案内図 

現在地は左上隅である。
東側の海岸へ 東側の海岸へ 
浜離宮に向う水上バス 浜離宮に向う水上バス 

後方は竹芝桟橋のビル群
海手伝い橋 海手伝い橋 
潮入の池への水門 潮入の池への水門 
潮入の池 潮入の池 

後方には東京タワーが見える。
将軍お上り場 将軍お上り場 

将軍が船を使った時の上り場。
灯台跡 灯台跡 
水上バス乗り場 水上バス乗り場 
浜離宮 案内図 浜離宮 案内図 

現在地は左下隅である。
潮入の池への水門 潮入の池の水門 
庚申堂鴨場 庚申堂鴨場 
庚申堂鴨場 庚申堂鴨場 
鴨を捕らえるための待機場 鴨を捕らえるための待機場 

この門の後ろに捕り手が控え、飛び立とうとする鴨に網をかけて捕らえる。
潮入の池 潮入の池 
潮入の池 潮入の池 
可美真手命の像 可美真手命の像 

「うましまてのみこと」と言い、饒速日命の皇子で、神武天皇東征の際、手柄を立てた軍神である。明治27年(1994年)明治天皇の銀婚式に陸軍省が懸賞募集して作られた。
可美真手命の像 可美真手命の像 

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