鎌倉〜鶴岡八幡宮〜鎌倉彫資料館〜
鎌倉文学館〜甘縄神明宮



【関連サイト】 有名神社 鶴岡八幡宮


(English)

 直前のページに戻ります。

写真の一覧表へ 

JR主催 古都鎌倉 鶴岡八幡宮をめぐる初詣ウォーキング 横須賀線 鎌倉駅 JR主催 古都鎌倉 鶴岡八幡宮をめぐる初詣ウォーキング 横須賀線 鎌倉駅 

受付はゴールの湘南藤沢駅で行うので、地図の配布だけである。
鎌倉〜鶴岡八幡宮〜鎌倉彫資料館〜鎌倉文学館〜長谷寺〜極楽寺〜鎌倉山〜湘南深沢駅(総行程10.1km)
JR 横須賀線 鎌倉駅 JR 横須賀線 鎌倉駅 
鶴岡八幡宮 段葛 鶴岡八幡宮 段葛 

鎌倉駅前の二の鳥居から鶴岡八幡宮まで、若宮大路の中央に設けられており、段葛と言われる。
寿永元年(1182年)、源頼朝の妻政子の平産祈祷のため鶴岡社頭より由比海浜大鳥居に亘り、これを築いた。その土石は北条時政始め源家の諸将が行った。明治の初年に至り、二の鳥居以南はその形を失った。
鶴岡八幡宮 段葛 鶴岡八幡宮 段葛 
鶴岡八幡宮 段葛 鶴岡八幡宮 段葛 

両脇の木は桜である。
鶴岡八幡宮 鶴岡八幡宮 

鶴岡八幡宮は、本宮の改修工事も終え、鮮やかな朱色になっている。ぼたん園や、さざれ石、大銀杏と色々と見るものが多い。
畠山 重忠邸址 畠山 重忠邸址 

鶴岡八幡宮の東門を出てすぐ右にある。
鶴岡八幡宮 東門 鶴岡八幡宮 東門 
土佐坊 昌俊邸址 土佐坊 昌俊邸址 

若宮大路の東で、これにほぼ平行している小町大路を南下、鎌倉駅に向う途中にある。
土佐坊昌俊は、文治元年(1185年)に堀河館に源義経暗殺のため夜襲、逆に討たれた。
小町大路 鎌倉彫資料館 小町大路 鎌倉彫資料館 
小町大路 妙隆寺 小町大路 妙隆寺 

日蓮宗の寺で、改修中で何も無い。日進が法華経弘通のため、その忍力を試すため寒中百日間水行した池がある。
小町大路 日蓮上人 辻説法跡 小町大路 日蓮上人 辻説法跡 

承久4年(1222年)、安房国に生まれた日蓮上人は法華を広く普及させるため、この付近の辻に立って民衆に説法したと伝えられている。
小町大路 日蓮上人 辻説法跡 小町大路 日蓮上人 辻説法跡 
由比ヶ浜大通り 下馬交差点近くの江ノ島電鉄踏切 由比ヶ浜大通り 下馬交差点近くの江ノ島電鉄踏切 

鎌倉駅から南下、横須賀線のガード下を過ぎて下馬交差点で右折、西進する。江ノ島電鉄(通称 江ノ電)は、単線ではあるが、路面電車ではなく、人気の電車である。
由比ヶ浜大通り 六地蔵 由比ヶ浜大通り 六地蔵 

鎌倉時代の処刑場で、地蔵の裏の道を右折して市役所方向に向うと問注所などがあった。
由比ヶ浜大通り 謡曲主馬盛久の故事 由比ヶ浜大通り 謡曲主馬盛久の故事 

平家の武将である平盛久は捕らえられ、由比ヶ浜で斬首される前日に観世音の霊夢を見た。処刑日に持っていた経巻から光が発散、処刑人は目がくらみ、太刀も二つに折れた。これを聞いた源頼朝は、盛久を助命したと言う。
由比ヶ浜大通り 謡曲主馬盛久の故事 由比ヶ浜大通り 謡曲主馬盛久の故事 
鎌倉文学館 鎌倉文学館 

由比ヶ浜大通りから右折、奥まった所にある。
甘縄神明宮 甘縄神明宮 

豪族染谷時忠が創建。源頼義が祈って八幡太郎義家を得た、と言われ、子宝のご利益があることでも知られる。境内は足達盛長の屋敷跡で、盛長は頼朝の蛭が小島以来の重臣である。
甘縄神明宮 甘縄神明宮 

足達盛長は、一般には安達盛長と言われ、安達氏は幕府重臣として重きをなし、一族の松下禅尼は執権北条時頼の母である。後に宝治合戦(1247年)で宿敵三浦氏を滅ぼしたが、その慰霊が鎌倉大仏と言う話もある。
甘縄神明宮 甘縄神明宮 北条時宗公産湯の井 

神明宮の階段の左手にある。以前来た時には見落としてしまった。
甘縄神明宮 甘縄神明宮 

トップ 散策点描 目次 古都鎌倉 鶴岡八幡宮をめぐる初詣(H17-01-22) 目次


長谷寺〜極楽寺〜鎌倉山〜湘南深沢駅