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横須賀しょうぶ園 入口
衣笠駅から山道を歩いて唐突に入口が現れた、という印象である。しかし、入口の先にバス停があり、工事中だが片道2車線の大きな道路から入ってくる。車なら楽なコースである。 |
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横須賀しょうぶ園 入口 |
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横須賀しょうぶ園 入口
普段は入場料300円が必要だが、しょうぶ祭開催のため無料である。 |
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横須賀しょうぶ園 入口
入口で管理棟がある右側と、屋台やイベント会場がある左側とに分かれ、しょうぶ畑が見える右側に進む。 |
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横須賀しょうぶ園 |
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横須賀しょうぶ園 しょうぶ畑
ちょっと目には分からないが、種類別にしょうぶが列をなして植えられている。 |
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横須賀しょうぶ園 しょうぶ畑
きれいに咲いているしょうぶ園は初めてだが、同じように見えて微妙に異なる花が美しい。 |
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横須賀しょうぶ園 しょうぶ畑 |
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横須賀しょうぶ園 しょうぶ畑 |
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横須賀しょうぶ園 しょうぶ畑 |
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横須賀しょうぶ園 咲き始めのあじさい
園内の小山沿いにあじさいが植えられており、咲き始めている。 |
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横須賀しょうぶ園 しょうぶ畑 |
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横須賀しょうぶ園 小山に上る |
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横須賀しょうぶ園 小山から見たしょうぶ畑
あまりにも整然と植えられているのが少し興ざめである。 |
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横須賀しょうぶ園 小山から見たしょうぶ畑
頂上に上ると変哲もない風景である。反対側の道を下るとイベント会場だが、木々が茂り眺望はきかない。 |
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横須賀しょうぶ園 THE☆すかっ子 「ソーラン」 |
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横須賀しょうぶ園 THE☆すかっ子 「ソーラン」
今流行の各地で行われているソーラン節で、曲や踊りの雰囲気は30年ほど前にに原宿で流行った竹の子族そのものである。 |
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横須賀しょうぶ園 しょうぶ畑
左側のしょうぶ畑に比べ、咲いているしょうぶはまばらである。 |
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横須賀しょうぶ園 新潟県 五泉市物産店 |
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横須賀しょうぶ園 出口 |
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横須賀しょうぶ園 入口の霧島つつじ |
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横須賀しょうぶ園 入口の歴史案内板
衣笠城址と三浦氏
衣笠城は鎌倉幕府成立に功のあった三浦一族の本拠地でした。それは自然の地形を巧みに生かした山城で、周囲には怒田城、佐原城、大矢部城、平作城、小矢部城など複数の支城を廃していました。
三浦氏の始祖・平太夫為通が康平年間(1058〜1065)に築城し、4代三浦大介義明の時代に頼朝の旗楊げに関連して起こった衣笠合戦で知られていますが、7代泰村が北条氏との勢力争いに破れ、廃城となりました。 衣笠城は 当時、海に接していたのではないか、そして、怒田城は水軍んお本拠地であったのではないかといわれています。 |
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横須賀しょうぶ園 入口の歴史案内板
三浦半島の古道
8世紀の頃、奈良の都(平城京)から常陸の国(現茨城県石岡市)へ至る官道は、鎌倉付近から三浦半島を通り、古代の走水から海を渡り、房総半島へと通じていました。
鎌倉時代には古代の道筋に沿って、三浦半島中央部と鎌倉を結ぶ道が幹線として発達し、鎌倉道とよばれました。鎌倉道やその支道沿いには三浦半島を支配した三浦氏の城山や館か点在していました。
江戸時代に入り、享保6年(1721年)浦賀に奉行所が置かれて以来、江戸と浦賀の往来が盛んになり、その道筋が浦賀道といわれました。
当時の浦賀は、各地から集まる廻船の荷を商う廻船問屋や干鰯問屋などで大いに栄えていました。 |
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横須賀しょうぶ園 入口の蓮池
ポツンポツンと小さな花が咲いている。 |