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新河岸川を下り、最初の橋で左折
その後、住宅街を右に左に曲がるが、写真は撮ったが割愛した。 |
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川越七福神 第七番 妙昌寺(弁財天) |
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川越七福神 第七番 妙昌寺(弁財天) |
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川越七福神 第七番 妙昌寺(弁財天)
弁財天は左坂下との案内がある。 |
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川越七福神 第七番 妙昌寺(弁財天)
当山は、大本山池上本門寺の末寺として法真山と号し、室町時代永和元年(一三七五年)現在の寺町に開創。諸堂は旧多賀町及び旧本町にあり、総門は旧江戸町にあったが、江戸時代寛保元年松平伊豆守信綱公が川越城を改善するため、当寺を現三光町の旧浅場孫兵衛侍屋敷跡地に移築したものです。
平成四年(一九九二年)十月、本堂客殿舎を落慶、平成十四年四月、立教開宗七百五十年慶讃事業として辨天堂の改修、水屋の新設等境内整備を行いました。 |
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川越七福神 第七番 妙昌寺(弁財天) 本堂左坂を下る |
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川越七福神 第七番 妙昌寺(弁財天)
小江戸川越七福神
妙昌寺(日蓮宗)
第七番 弁財天
弁天様は七福神唯一の女神で、弁舌、芸術、財福、延寿を授ける神として、古くから巾広く信仰を集めており、運を開き、福を招く女神です。
秋の七草 藤袴
宿りせし人のかたみか藤袴
わすられがたき香に匂ひつつ
紀 貫之
花が藤色で弁の形が筒をなしているからついた名といいます。乾燥させたものは薬用で利尿、通経、黄疸に効果があるといいます。
花言葉−思いやり、落ちつき |
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川越七福神 第七番 妙昌寺(弁財天) 小江戸川越七福神の案内板
妙昌寺界隈の地図と、川越市駅、本川越駅、蓮馨寺、見立寺までの時間が書かれている。 |
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川越七福神 第七番 妙昌寺(弁財天)
弁財天は本堂左坂下に末社として祀られている。 |
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川越七福神 第七番 妙昌寺(弁財天)
経ヶ嶋辨財天
室町時代、時の地頭が小石に法華経を書写し、辨財天をまつって守護神としたのが始まりです。
江戸時代、長緑元年に、太田道灌公が川越城を築城する際、辨財天の社が川越城の裏鬼門に向いていたことから、鬼門除けの守護神として尊崇(信仰)篤かったと伝えられています。
当地はその昔、螢の名所としても知られていました。 (昭和二十四年川越市史跡より)
辯財天に寄せた和歌(江戸時代)
・空をもうち出す神の穂ゆへか
つちのとの巳にまつる御社
阪月
・弁天の影向なれや燕子花
池のおもても紫の雲
茂躬
・この神の恵みに茂れ蛇復盆子
如松 |
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妙昌寺 辯財天から出て住宅街を東進 |
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住宅街を東進 |
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突き当りのルネサンスシティ川越前を右折、南下 |
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次の交差点で左折、県道15号(川越日高線)へ |
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県道15号(川越日高線) 連雀町交差点手前で右折 |
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一方通行路を東進し、右折して県道229号(本川越停車場線)へ |
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県道229号(本川越停車場線) 小江戸 蔵里
川越の銘菓が売られていたが、ほとんどがさつま芋を使ったものである。 |
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県道229号(本川越停車場線) 交差点で右折、西武本川越ペペへ |
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西武本川越ペペへ向かう |
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西武本川越駅 ステーションビル |
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西武 本川越駅 ゴール風景 |