|
JR 山手線 田町駅 |
|
田町駅 三田口(西口) 西郷隆盛・勝海舟 会見の図
エスカレーター乗り口の壁に掲げられたレリーフである。エスカレーターが壁ぎりぎりに設けられており、写真が撮りにくく、左下の説明は読むことが出来ない。 |
|
田町駅・浜松町駅開業100周年記念 港七福神を巡る 歴史散策 受付風景
田町〜三田薩摩藩邸〜高輪細川藩邸〜魚籃坂下交差点〜麻布十番〜仙台坂上交差点〜六本木ヒルズ〜東京ミッドタウン〜六本木二丁目交差点〜飯倉交差点〜赤羽橋交差点〜東京タワー〜芝増上寺〜旧芝離宮(総行程 11.6km)
【撮影記録】
平成21年 11月 3日 快晴
09:25〜13:30 19,600歩(昼食 15分)(概算 15.7km)
爽やかな秋空だったが、12月中旬の気温で始めは北風が強く寒かったが、風が収まると暖かだった。テーマ名は港区の七福神巡りだが、前半は薩摩、細川藩邸巡りの歴史散策、中盤は麻布十番、六本木ヒルズ、東京ミッドタウンの新名所周遊、後半は東京タワー見物である。
通常のコースは8km前後なのに、12kmと長いこともあって、見所をじっくり見ていたら時間がいくらでも掛かる素晴らしいコースである。 |
|
田町駅西口交差点で右折、第一京浜へ |
|
第一京浜 芝五丁目交差点 江戸開城 西郷南洲、勝海舟会見之地
芝五丁目交差点手前の三菱自動車本社前に設置され、幕末の付近の地図や解説もある。
田町薩摩邸(勝・西郷の会見地)附近沿革案内
この敷地は、明治維新前夜慶応4年3月14日幕府の陸軍総裁勝海舟が、江戸100万市民を悲惨な火から守るため、西郷隆盛と会見し江戸無血開城を取り決めた「勝・西郷会談」の行われた薩摩藩屋敷跡の由緒ある場所です 。
この蔵屋敷(現在地)の裏はすぐ海に面した砂浜で当時、薩摩藩国元より船で送られて来る米などは、ここで陸揚げされました。現在は、鉄道も敷かれ(明治5年)更に埋め立てられて海までは遠くなりましたが、この附近は最後まで残った江戸時代の海岸線です。また人情噺で有名な「芝浜の革財布」は、この土地が舞台です。 |
|
第一京浜 芝五丁目交差点で左折、日比谷通りへ |
|
日比谷通り NEC本社
日比谷通りに入ってすぐ左に見える。 |
|
日比谷通り芝三丁目交差点で左折
NEC本社敷地の東北の角を曲がり、北側の道を進む。 |
|
NEC本社ビル 薩摩屋敷跡の碑
港区のコミュニティバスであるちぃバス(田町ルート)の芝五丁目」バス停の左、NECビルの木立に設けられている。
揮毫は西郷隆盛の孫の西郷吉之助である。西郷吉之助は侯爵、貴族院議員を経て、参議院議員だったが、不祥事で辞職した。。 |
|
「ちぃバス(田町ルート)」バス停 #27 芝三丁目南
田町駅からこの先の三田通り交番前交差点までは、ちぃバスの六本木ヒルズから田町駅へ戻る復路を逆に歩いている。 |
|
三田通り交番前交差点で左折、桜田通り(国道一号線)へ
左手奥には慶応大学の東門が見える。 |
|
桜田通り 三田通り交番前交差点から見た東京タワー
東京タワー撮影のポイントとしてで有名であり、写真を撮る人が多い。 |
|
桜田通り 春日神社
慶応大学の東門に隣接し、1,000年以上前に春日大社より勧請した三田の鎮守である。
子供の頃、秋のお祭の時に祖父母が住み、生まれた所でもあった芝豊岡町に行くと、当時貴重だった森永のお菓子セットがもらえた。そのため、お菓子は森永が一番、と長く思っていた。 |
|
桜田通り 春日神社
三田の鎮守「春日さま」として親しまれる。江戸時代には江戸府内唯一の春日社として信仰を集めた。 |
|
桜田通り 春日神社
左は慶應大学の東館である。東門は東館の一部である。 |
|
桜田通り 慶應大学 三田キャンパス 東門
早稲田大学と言うと、大隈講堂と大隈侯銅像と言うように、慶應大学のシンボルの一つである。
慶應大学の三田キャンパスは意外と小さいが、日吉キャンパスと合わせて大学点描としてまとめてある。 |
|
桜田通り 三田二丁目交差点で右折
桜田通りは右折し、直進すると第一京浜と交差する札の辻に向かう都道301号(白山祝田田町線)となる。 |
|
桜田通り 慶応大学 三田キャンパス
子供の頃、祖母に連れられ田町駅前の映画館に通った時には雲突くような壁に思えたが、それほどでもない。
因みに映画は新東宝の明治天皇と日露大戦争とか大楠公物語などで、子供にはさして面白いものではなかった。 |
|
桜田通り慶應大学 三田キャンパス 正門(南門) |