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三鷹 電車庫通りを西進
三鷹駅西にある三鷹車両センターの南側の道である電車庫通りを進む。 |
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三鷹 電車庫通りを西進 |
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三鷹 電車庫通り 上連雀すずかけ児童遊園 |
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三鷹 電車庫通り 上連雀すずかけ児童遊園 三鷹事件五十年碑
色々工夫したがまともに逆光を浴びて碑面を撮ることが出来なかった。
三鷹事件は昭和24年7月15日夜に起きた無人列車暴走による死傷事件で、同時期に起きた下川事件、松川事件と並び終戦直後の国鉄三大事件である。共産党の犯行とされているが、進駐軍の謀略とも言われる。 |
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三鷹 電車庫通り 突き当りを左折、調布保谷線へ |
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調布保谷線 右折して境南通りへ
正規のコースでは調布保谷線を南下し、次の上連雀通り北交差点で折り返してこの交差点に来る。理由はこの交差点には信号がないためであるが、車は殆ど通らないため、参加者はショートカットしていた。 |
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調布保谷線建設工事のお知らせ |
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境南通りを西進 |
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境南通り 日本獣医生命科学大学 |
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境南通り イトーヨーカドー東館交差点で左折、武蔵境通りへ |
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武蔵境通り 杵築大社(恵比寿神)
武蔵境駅の東南にあり、「大社」の名前が僭称と思われる普通の神社である。
徳川家康の次男、結城秀康の三男で島根松江藩の松平直正が創建した。境内には松平直正公顕彰碑がある。 |
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武蔵境通り 杵築大社(恵比寿神) |
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武蔵境通り 杵築大社(恵比寿神)
江戸時代初め、松江藩主松平直政により建てられ、祭神は大國主命と事代主命の二神。開運厄除、縁結びの神としても信仰を集めている。本殿前にある千本イチョウは樹勢が豊かで迫力がある。境内には高さ10メートルの富士塚があり、病気平癒の祈願信仰が厚い。 |
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武蔵境通り 杵築大社(恵比寿神) 本殿
この神社は、杵築大社(きづきたいしや)といい、今から三百五十年程前、徳川三代将軍家光の従兄弟、出雲の殿様、松平出羽守直政(越前六十七万石領主松平秀康の三男で、出雲国松江城々主となり、家光に寵愛された)が当所を御用屋敷と定め、鷹狩りをして遊ばれていたどころと伝えられております。
殿様は大変信仰厚く、徳川幕府の繁栄と天下泰平を祈願し、ここに出雲の杵築大社(現在の出雲大社)と稲荷神社を御創建されました。
戦後商売繁盛の神として名高い、えびす様を、出雲の美保神社より合祀し、縁結びの神ど共にえびす、大国二福神を祀る神社として人々から崇敬を集めている神社です。境内社に八坂神社、富士浅間神社、金毘羅様及び弁天様があり、秋の例大祭(十月第一土・日)は多くの人でにぎわいます。 |
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武蔵境通り 杵築大社(恵比寿神) えびす大国殿
恵比寿神は日本古来の神で、大國主命の息子、事代主命。海の守護神、商売繁盛の神として古来より人気が高い。鯛は福を表し、釣竿で福を釣る。
七福神はこのような末社に祀られており、見落としやすい。 |
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武蔵境通り 杵築大社(恵比寿神) 松平直正公顕彰碑 |
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武蔵境通り 杵築大社(恵比寿神)
この神社は、杵築大社といい、今から三百六十年程前、徳川三代将軍家光の従兄弟で、家康の次男、松平秀康(越前国六十七万石領主、福井北ノ庄城々主)の三男、松平出羽守直政(出雲国松江二十九万石領主、松江城々主)が、当所十二町四方を御用屋敷と定め鷹狩りをして遊ばれたところと伝えられております。
出雲の殿様、松平出羽守直政公は大変信仰厚く当屋敷内に徳川幕府の繁栄と、天下泰平を祈願され、出雲の杵築大社(現在の出雲大社)と稲荷様を御創建されました。
承応年間、徳川四代将軍家綱は、王川上水を築き新田開発を行なったので当所、松平家屋敷奉行境本騎馬大夫は長百姓となり、境新田の開拓につとめ、子孫境本仲右ェ門は、境村の名主として村人と共に活躍した。貞享年中、当大社は御上地となり、境村の氏神社として大社様と呼ばれ、崇敬されるようになった。
戦後、神社信仰にに対する啓蒙的願望と地元商店会の発展を念願して商売繁盛の神、出雲の美保神社よりえびす様を勧請し大黒様と共に「恵比寿・大黒」ニ福神を祀る大社として、地元住民はもとより近隣市町村の人々から広く、崇敬をあつめている神社です。
境内社に八坂神社・稲荷神社・冨士浅間神社・金毘羅様そして弁天様があり、特に三大祭は盛大に行われます。 |
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武蔵境通り 杵築大社(恵比寿神) |
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武蔵境通り 杵築大社横の道を進む
横道を歩いていると、杵築大社南外れに富士塚の小山が見える。 |
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聖徳学園前を進む |
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聖徳学園前交差点で右折、かえで通りを北上 |
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かえで通り 武蔵境駅南口交差点 |
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JR 中央線 武蔵境駅 |