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浅草通り 稲荷町交差点で清洲橋通りを渡る |
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浅草通り 下谷神社
浅草通り沿いに立つ赤い大鳥居が目印。下谷の鎮守として広く信仰を集め、「稲荷町」の地名の由来ともなった。社殿の天井に描かれた「板絵着色雲竜図」は横山大観の作で、湧き立つ雲の中に突如現れる竜を描いた迫力あふれる水墨画だ。 |
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下谷神社 |
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下谷神社 |
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下谷神社 寄席発祥之地の碑、正岡子規 句碑
左が句碑である。
寄席はねて
上野の鐘の
夜長哉 |
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下谷神社 寄席発祥之地の碑
寛政十年(一七九八年)六月、下谷稲荷神社境内に於いて咄の会が初めて有料で催され、これが江戸の寄席の発祥と伝えられる。
寄席文字で書かれており、下段には鈴本演芸場、新宿末広亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場の名がある。 |
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下谷神社 |
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下谷神社 由来
天平二年(七三〇)、上野の忍ヶ岡に創建されたと伝えられる。寛永四年(一六二七)、寛永寺の建立のため山下に移された(現在の岩倉高校あたり)。しかし土地が狭く、延宝八年(一六八〇)に広徳寺前通り(現住の浅草通り)の南側に移る(現在地の近く)。その周囲には武家の屋敷や長屋が建ち並んでいた。
本社は下谷の鎮守として広く信仰を集め、「下谷稲荷社」、「下谷惣社」などとよばれた。稲荷町という地名も、本社に由来する。江戸時代には開帳・大形芝居などがおこなわれ、祭礼の時には盛大な行列がみられた。
「下谷神社」と改称したのは明治五年(一八七ニ)である。関東大震災の後、昭和三年(一九二八)の区画整理により、東南に五十メートルほどの現在地に移る。新築された拝殿には、池之端に住んでいた日本画の巨匠、横山大観により雲竜図の天井画が描かれた(平成十二年、台束区有形文化財)。 |
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浅草通り 上野駅交差点で左折、昭和通りへ |
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昭和通り 歩道橋で横断し中央通りへ |
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歩道橋から見た上野駅広小路口 |
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中央通り 山手線高架下を進み左折、アメ横へ |
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アメ横商店街を南下
第2次世界大戦後の闇市がはじまり。「アメ横」という名前は、当時アメリカ軍からの横流し品が流通したからとも、飴を商いする店が軒を連ねたからともいわれる。JR上野駅〜御徒町駅の線路沿いに、お菓子、生鮮食品、衣料品、靴、鞄、化粧品など、ありとあらゆる商品を扱う店がひしめきあう。店により異なるが、基本的に9時頃〜20時頃、無休。 |
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アメ横商店街を南下 |
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アメ横商店街を南下 |
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アメ横商店街を南下 |
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アメ横商店街 春日通りを渡る
渡った所が出発点の御徒町駅北口である。 |
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アメ横商店街 春日通りを渡る |
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アメ横商店街を南下
アメ横の端も過ぎ、御徒町駅南口を過ぎてもゴールが見えない。所々に駅員が立ち、さらに山手線沿いに歩くよう指示する。 |
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蔵前橋通り手前で左折、御徒町2k540へ
一体いつになったらゴールだろうか、と思うほど歩かされる。
蔵前橋通りの先には秋葉原駅前のUDXビル、その後ろに高層のダイビルが見え、ほとんど秋葉原であるが、指示するのは御徒町駅の駅員である。 |
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御徒町2k540 ゴール風景
ゴールした後、ガード下の2k540を歩いて御徒町駅に行くよう指示していた。しかし、どう見ても秋葉原駅のほうが近い。御徒町駅の露骨な売上対策である。
2k540
AKI一OKA ARTISAN
JR秋葉原駅と御徒町駅間の高架下に、ギャラリー、カフェ、工房、ショップなど「ものづくり」をテーマにした30以上のショップが集まる新名所。オリジナルの傘が作れる専門店、木製・iPhoneヶ−スなど斬新な製品が揃う店、大人がレゴやネフ(積み木)など高品質のおもちゃで遊べるカフェなど、個性あふれる店が目白押し。11〜19時(一部営業時間異なる)、水曜休。 |