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靖国神社〜九段下交差点〜神保町交差点

【関連サイト】   東京、横浜の紅葉・黄葉名所巡りH2311(靖国通り〜靖国神社〜田安門交差点)

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靖国通り(都道302号) 一口坂交差点 靖国通り(都道302号) 一口坂交差点 

左折すると下り坂の一口坂である。

この坂を一口坂といいます。「麹町区史」には"一口坂の一口は、大阪のいもあらいと同じくイモアライと読むべきで、電車一口坂停留所から北へ九段電話局の前を新見附へ下る坂である”とかかれています。疱瘡をいもがさとかへもとよんで、疱瘡を洗う(治す)という意味として知られています。ただこの疱瘡に霊験あらたかな社がどの辺りにあったかということは不明です。
靖国通り(都道302号) 一口坂交差点 界隈案内図 靖国通り(都道302号) 一口坂交差点 界隈案内図 
靖国通り(都道302号) 九段三丁目 町名由来 靖国通り(都道302号) 九段三丁目 町名由来 

 江戸時代のはじめ、この界隈は番町と呼ばれていました。江戸城を守る大番組の旗本たちの屋敷が、城の西側一帯にあったことかその由来とされています。東西、南北に走る道筋に「〜番町通」と付けられ、屋敷の場所が分かるようになっていました。番町は、ー番町から六番町まであり、現在の靖国通りのこの道筋は「三番町通」といわれていました。
 安政年間(ー八五四〜一八六〇)に書かれた古文書をひもとくと、このあたりの住人として六千石を拝領していた高井但馬守や五千五百余石を拝領していた坪内伊豆守などの名か記されています。それらの屋敷は、明治維新後、華族や官吏たちの邸宅として利用されました。
 明治二年(一八六九)、正式な町名として「三番町」が生まれました。当時の三番町は、現在の九段三丁目と九段四丁目の二町会にまたがる町でした。あまりに広すぎたためか、三丁目は上三番町、四丁目は下三番町と俗称され、上三番町は料亭など、下三番町は仕出屋などが集まってともに発展していきました。関東大震災の復興期、上三番町といわれていた部分に、富士見町三丁目と四番町のー部をあわせて、「九段三丁目」か誕生しました。
 町内には、明治二年(一八六九)、東京招魂社かでき、明治十二年(一八七九)に、靖国神社と改称されました。現在、靖国神社には戊辰戦争以来の戦争なとで命を落とした方々か祀られています。
靖国通り(都道302号) 靖国神社の塀沿いに東進 靖国通り(都道302号) 靖国神社の塀沿いに東進 
靖国通り(都道302号) 靖国神社南門交差点 靖国通り(都道302号) 靖国神社南門交差点 

左折して靖國神社に入ると拝殿手前の中門鳥居前に出る。右折すると大妻学園がある大妻通りである。
靖国通り(都道302号) 靖国神社交差点 靖国通り(都道302号) 靖国神社交差点 

左折すると靖国神社の第二鳥居前に出る。
靖国通り(都道302号) 九段坂上交差点 靖国通り(都道302号) 九段坂上交差点 

左折して石鳥居を抜けると大村益次郎像で、右折すると内堀通り(都道401号)である。
靖国通り(都道302号) 千鳥ヶ淵緑道入口 靖国通り(都道302号) 千鳥ヶ淵緑道入口 

内堀通りの墓苑入口交差点から入って、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を経て、この交差点に出る。
靖国通り(都道302号) 千鳥ヶ淵緑道入口 靖国通り(都道302号) 千鳥ヶ淵緑道入口 
靖国通り(都道302号) 田安門交差点 元帥陸軍大将大山巌公像 靖国通り(都道302号) 田安門交差点 元帥陸軍大将大山巌公像 
靖国通り(都道302号) 田安門交差点 元帥陸軍大将大山巌公像 靖国通り(都道302号) 田安門交差点 元帥陸軍大将大山巌公像 

大山巌像

大山厳は、日清戦争では第二司令官として旅順、威海衛を攻略し、日露戦争では満州軍総司令官として陸軍を勝利に導き、国民的英雄となった。巌は秋山好古の意見書を元にして作戦を立てたこともあり、陰で大山を好古は支えていた。
靖国通り(都道302号) 田安門交差点 子爵 品川弥二郎像 靖国通り(都道302号) 田安門交差点 子爵 品川弥二郎像  

長州藩士で、とことんやれ節(宮さん、宮さんの歌詞で有名)の作者と言われ、第1次松方内閣の内相として激しい選挙干渉を行って引責辞任するなどのエピソードがある。
靖国通り(都道302号)田安門交差点 常燈明台(高燈籠) 靖国通り(都道302号)田安門交差点 常燈明台(高燈籠)  

坂下の田安門近くには、常燈明台(正式には高燈籠)という燈台がある。かつては坂上の靖国神社前にあったこの燈台の灯は、品川沖の船ばかりではなく、遠く房総からも望見されたという。
靖国通り(都道302号) 北の丸公園 田安門 靖国通り(都道302号) 北の丸公園 田安門 
靖国通り(都道302号) 九段坂を下る 靖国通り(都道302号) 九段坂を下る 

 この坂を九段坂といいます。古くは飯田坂ともよびました。『新撰東京名所図会』には「九段阪は、富士見町の通りより、飯田町に下る長阪をいふ。むかし御用屋敷の長屋九段に立し故、之を九段長屋といひしより此阪をば九段阪といひしなり。今は斜めに平かなる阪となれるも、もとは石を以て横に階を成すこと九層にして、且つ急嶮なりし坂に、車馬は通すことなかりし(後略)」とかかれています。坂上は、月見の名所としても名高かったようで、一月二十六日と七月二十六日には、夜待ちといって月の出を待つ風習があったといいます。
靖国通り(都道302号) 九段坂を下る 靖国通り(都道302号) 九段坂を下る 
靖国通り(都道302号) 田安門交差点から見た九段会館 靖国通り(都道302号) 田安門交差点から見た九段会館 

旧軍人会館で、帝冠様式という独特の様式の建物である。後で前を通るが、東日本大震災で天井が崩落、死傷者が出た。
靖国通り(都道302号) 九段下交差点 靖国通り(都道302号) 九段下交差点 

左折すると内堀通り(都道401号)、右折すると目白通り(都道8号)となる。

交差点手前に蕃書調所跡の案内柱がある。
靖国通り(都道302号) 専大前交差点で雉子橋通りを渡る 靖国通り(都道302号) 専大前交差点で雉子橋通りを渡る 
靖国通り(都道302号) 神保町古本店街 靖国通り(都道302号) 神保町古本店街 
靖国通り(都道302号) 神保町交差点で白山通り(都道301号)を渡る 靖国通り(都道302号) 神保町交差点で白山通り(都道301号)を渡る 



 
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