一番目の宿場町品川、旧東海道は下町情緒たっぷり
品川東海七福神巡り
(H19-01-27)
大井町駅からゼームス坂を下り第一京浜に出る。昔は急坂だったが、明治時代に私財で緩やかにしたゼームスに因んでいる。途中に由来記があり、その前に高村智惠子(光太郎の妻)の文学詩碑がある。第一京浜を北上すると趣のある三重塔がある本光寺があり、その先の目黒川に架かる東海橋を渡り、山手通りとの交差点を過ぎると品川神社である。
大黒天を祀る品川神社は、文治3年(1187)、源頼朝が海上の交通安全と祈願成就の守護神として安房国洲崎明神を勧請し、品川大明神と称したのがはじまりとされる。江戸時代には北品川稲荷社と称した。品川東海七福神の第一番で、京急本線新馬場駅向かいの第一京浜沿いにある。男坂を上った左手に大きな富士塚があり、山頂からは境内の人が小さく見え、港南の高層ビル群がよく見える。境内には品川宿で多くの包丁が使われたことから包丁塚が建立されている。
品川東海七福神の養願寺(布袋尊)と一心寺(寿老人)は旧品川宿の中にあり、荏原神社(恵比須)は目黒川沿い、品川寺(毘沙門天)は京急本線の青物横丁駅裏の旧東海道にある。荏原神社は、和銅2年(709)の創建で、古くは貴布院大明神、天王社と称し東海道品川宿の総鎮守であった。品川寺は大同年間(806〜810)創建の品川で最も古い寺で、江戸六地蔵の第一番がある。荏原神社、品川寺にはボランティアの説明員が付き、観光客に対応していた。甘酒や、コーヒー、お茶の無料接待所も設けられている。土方歳三など幕末の歴史に関わった青物横丁の建場茶屋の釜屋がある。
青物横丁の海雲寺前を通り、しながわ花街道の幟がある鮫洲商店街、勝島運河を経て立会川駅に着く。藩邸があった所縁から高知市から寄贈された駅前の坂本竜馬像の前では、お汁粉の無料接待が行われていた。駅近くの天祖諏訪神社(福禄寿)を参拝後、北の小塚原と並び称される鈴ヶ森刑場跡に到る。鈴ヶ森は歴史点描で別途整理しているが、小塚原に比べ遺跡も多く、鬼気迫るものがある。浜川橋(涙橋)では、処刑者と家族が別れを惜しんだ。
磐井神社(弁財天)は、延喜式に伝わる古社で、祭神に岩清水八幡を勧請し、鈴ヶ森八幡宮と称された。磐井の由来となった井戸は第一京浜の歩道にあり、心の正邪により清水となったり、塩水になるとの伝説がある。大森貝塚遺跡庭園は、JR京浜東北線の線路沿いにあり、車窓から見た地形で貝塚を発見した、との故事を思い出させる。池上通りを北上し、大井町駅のゴールに着く。紅梅並木は暖冬で満開に近い。