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JR 新橋駅 びゅうプラザ 受付風景
新橋駅〜汐留シオサイト〜御成門交差点〜芝公園〜東京タワー〜神谷町交差点〜愛宕隧道〜愛宕神社〜虎ノ門三丁目交差点〜米国大使館〜虎ノ門交差点〜新橋駅(総行程 8.3km)
【撮影記録】
平成23年 12月 10日 快晴
09:20〜12:05(昼食 25分) 13,900歩(概算 9.0km)
今年一番の寒い朝だったが、歩き始めたらけっこう暑かった。
今回の最大の目玉は東京タワーである。東京生まれだから何時でも行くことができる、上って喜ぶのはおのぼりさんの田舎者だ、と思っていた。しかし、大学院を出て工場勤務を繰り返し、戻ってきた時には修学旅行生などで大混雑で上る気もしなかった。ところが、今回早かったせいもあり、ガラガラだったので展望台まで初めて行ってみた。大したことはなかった。 |
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JR 新橋駅 汐留口
ビュープラザ横で受付を済まして汐留シオサイトに向う。 |
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新橋駅 汐留口風景
正面に新橋駅前第一ビルがあり、奥に汐留シティセンターが見える。
雑居ビル沿いに左に進む。 |
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新橋一丁目交差点で右折、外堀通りへ |
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外堀通り 新橋交差点で第一京浜を渡り、昭和通りへ
新橋交差点を渡ると昭和通りと改称する。交差点を渡って右手に旧新橋停車場がある。 |
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旧新橋停車場
明治5年に開業した日本初の鉄道ターミナル、新橋停車場の駅舎の外観を当時と同じ場所で忠実に再現。発掘された構内の礎石や鉄道関係の企画展示も見ごたえがある。
旧新橋停車場と、パナソニック電工東京本社の間を通ると創業時の0哩標識や線路などの遺構が展示されている。 |
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旧新橋停車場
この建物は1872(明治5)年10月11日(太陽暦)に開業した日本最初の鉄道ターミナル新橋停車場の駅舎の外観を、当時と同じ位置に、できるだけ忠実に再現したものです。新橋停車場駅舎は、アメリカ人R.P.プリジェンスの設計により、1871(明治4)年5月に着工、同年12月に完成し、西洋建築がまだ珍しかった時代の東京で、鉄道開業直後に西洋風に整備された銀座通りに向って、偉容を誇っていました。
1914(大正3)年、新設の東京駅に旅客ターミナルの機能が移り、それまでの烏森駅が新橋の名を引き継いで現在の新橋駅となり、貨物専用駅となった旧駅は汐留駅と改称、物流の大拠点として戦前戦後を通して東京の経済活助を支えました。文明開化の象徴として親しまれた旧駅舎は、1923(大正12)年9月1日の関東大震災に際して火災のため焼失し、1934(昭和9)年から始まった汐留駅改良工事のため、残存していたブラットホームや構内の諸設備も解体されました。
1986(昭和61)年、汐留駅はその使命を終えて廃止され、跡地の再開発工事に先立つ埋蔵文化財の発掘調査が1991(平成3)年から行われた結果、旧新橋停車場駅舎とプラットホームなど構内のa諸施設の礎石が発掘されました。1996(平成8)年12月10日、駅舎とプラットホームの一部の遺構が『旧新橋停車場跡』として国の指定を受け、この史跡を 保護しつつわが国鉄道発祥の往時を偲ぶために、駅舎を再建することになったものです。 |
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旧新橋停車場 |
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海岸通り 蓬莱橋交差点
蓬莱橋交差点で海岸通りが始まる。昭和通りは分岐して北上する。 |
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海岸通り 蓬莱橋南交差点から見た汐留シオサイト |
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海岸通り 汐先橋交差点
左折すると新大橋通りとなって築地市場に向う。 |
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海岸通り 汐先橋交差点 電通本社ビル |
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海岸通り 日本通運本社ビル |
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海岸通り 浜離宮庭園前交差点で右折
高架は首都高都心環状線である。 |
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汐留シオサイト ペデストリアンデッキへの階段横を進み、JRの高架下を通り抜ける |
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汐留シオサイト ウィンズ汐留角を左折、5区イタリア街へ
JRの高架下を通り抜けると、左手に日本競馬会(JRA)のウィンズ汐留がある。
左右にヨーロッパ風のビルが立ち並ぶ。これはイタリア街と言うテーマに沿って作られた街並みである。 |
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汐留シオサイト 5区イタリア街
イタリア人建築家監修の元に建てられたビルが並ぶおしゃれな街。ホテルやレストラン、オフィスなどが入る落ち着いたたたずまいはイタリアに来た気分にさせてくれる。 |
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突き当りで右折 |
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浜松町一丁目交差点で第一京浜を渡り、日赤本社通りへ
浜松町一丁目交差点から日赤本社前を通り、御成門交差点を経て、神谷町交差点に至る道路は名前がない。仮に日赤本社通りと称する。 |
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日赤本社通り 日赤本社 |
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日赤本社通り 愛宕警察署 |
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日赤本社通り 御成門交差点で左折、日比谷通りへ |