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霊園を出て右折、雑司ヶ谷霊園沿いに歩く |
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雑司ヶ谷霊園沿いに歩く |
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雑司ヶ谷霊園沿いに歩く
黄葉のイチョウや他の木々が美しい。霊園の西の角の水仙寺から右の小道に入り、都電荒川線の線路に向かう。 |
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都電荒川線 ガード下をくぐる |
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ガード下をくぐり、すぐ左折 |
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大鳥神社
正徳年間鬼子母神境内に鷺明神として創祀せらる。
明治維新、神仏今離の令に依り、大門欅並木の料亭蝶屋地内に大鳥神社と改称 仮遷座す。これを憂い旧幕臣矢嶋昌郁氏自己の宅地を社殿として奉献、永久鎮座の地漸く定まる。その後、境内地を 漸次拡張し、現状となる。 |
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大鳥神社
正徳年間(1711〜1716)に鬼子母神の中に作られた鷲神社を、明治の神仏分離により移転し大鳥神社と改称。
旧幕臣の矢嶋昌郁氏が社地を寄贈して現在地に祀られた。
11月の酉の市はとくに賑わう |
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大鳥神社 |
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大鳥神社を出て、住宅街を進む |
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雑司ヶ谷 鬼子母神
鬼子母神は、安産・子育ての神様・鬼子母神を祀るお堂。もともとは多くの子どもを持つインドの神様だが、性質は暴虐で近所の幼児を捕って食べるため、見かねたお釈迦さまが一番末の子どもを隠したところ嘆き悲しんで今までの過ちを悔い、安産・子育ての神様となったという。ここに祀られる鬼子母神像は、鬼形ではなく幼児を抱いた菩薩形の美しい姿をしており、とくに角のつかない鬼の字を用い「鬼子母神」と尊称している。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 仁王像(阿像)
仁王門はなく、石造の露天の仁王像は珍しい。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 仁王像(吽像) |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 天然記念物 子授けイチョウ
樹高三〇メートル、幹周八メートルの雄株で、都内のイチョウでは、麻布善福寺のイチョウに次ぐ巨樹であり、樹勢は盛んである。応永年間(一三九四〜一四二八)に僧日宥が植えたと伝えられている。古来『子授け銀杏』と言われ、戸張苗堅の『櫨楓』によるど、婦人がこのイチョウを抱く光景がみられ、注連縄を張るようになったのは、文政年間(一八一八〜二九)の頃という。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 天然記念物 子授けイチョウ |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 天然記念物 子授けイチョウ |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 土産物店
この店は上川口屋といい、創業天明元年(1781年)の老舗である。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 法明寺鬼子母神堂
『新編武蔵風土記稿』によると建立は天正六年(一五七八)五月三日であるが、そののち寛文四年(一六六四)松平安芸守光晟の室、法名自昌院英心日炒大姉が寄進して、今の本殿を造営した。
拝殿と幣殿(相の間)は元禄一二年(一七〇〇)に建立されたことが、昭和五一年におこなわれた昭和大修理において発見された墨書や銘文によって確認されている。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神から出て北上 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 ZUZUSHII ART LABORATORY
かつては名物の「すすきのみみずく」で有名だったが、作っていた婦人が高齢のため、いつのまにか怪しげな店になっていた。 |