北千住駅〜旧日光街道〜千住大橋〜水神大橋


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隅田川の橋めぐり 第1回(北千住〜三河島) JR 常磐線 北千住駅 隅田川の橋めぐり 第1回(北千住〜三河島) JR 常磐線 北千住駅 

北千住駅〜旧日光街道〜千住大橋〜水神大橋〜白髭橋〜吉原大門〜三ノ輪駅〜三河島駅(総行程9.3km)
JR 常磐線 北千住駅 JR 常磐線 北千住駅 
北千住駅前の千住2丁目交差点で左折 北千住駅前の千住2丁目交差点で左折 

駅前の商店街を少し西に行き、左折して旧日光街道に行く。
旧日光街道 旧日光街道 

「旧日光街道」とか、「北千住宿」などと言う表示はまったく無い。このようなイベントが無いと気がつかない。
旧日光街道 案内図 旧日光街道 案内図 

中央下の現在地から、旧日光街道と表示されている道を歩く。
千住宿プチテラス 千住宿プチテラス 

昭和5年に建てられた紙問屋の横山家の土蔵が足立区に寄付され、平成5年に区民ギャラリーとして開設された。
千住宿プチテラス 千住宿プチテラス 
千住宿プチテラス 千住宿プチテラス 
千住大橋 千住大橋 

隅田川に架けられた橋としては最も古く、最初の架橋は徳川家康入府4年後の文禄3年(1594年)である。現在の橋は昭和2年架橋の大橋と、昭和47年閑静の二重橋構造で、大橋から上流は荒川、下流は隅田川となる。
千住大橋 千住大橋 
千住大橋の由来 千住大橋の由来 

当初はただ大橋と呼ばれていたが、下流に大橋が作られたことから千住大橋と呼ばれるようになった。奥羽、日光、水戸街道の要地を占め、東北への唯一の大橋であった。
千住大橋 八紘一宇の碑 千住大橋 八紘一宇の碑 

千住大橋を渡った所にあり、陸軍大将林銑十郎書と刻まれている。
千住の河岸 千住の河岸 

江戸時代千住大橋の袂の河岸には、秩父から荒川の水運を利用して高瀬舟で運ばれてきた材木を取り扱う家が並んだ。
東京メトロ(旧営団) 南千住車庫 東京メトロ(旧営団) 南千住車庫 
リバーパーク汐入 リバーパーク汐入 

南千住駅から隅田川に向う都営団地などがある。
水神大橋 水神大橋 

昭和63年、墨田区の東地区防災区間と荒川区の防災区間を結ぶ連絡橋として架けられた。墨田区側にあり、「水神様」と信仰される墨田神社に因んで名付けられた。
水神大橋 水神大橋 

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