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八重洲通り 住友ツインビル前交差点で左折 
上野月島線(都道463号) 中央大橋支線は、八重洲通りの通称となる。 |
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八重洲通り 住友ツインビル前交差点で左折 
八重洲通りの右手に住友ツインビルがある。 |
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亀島川に架かる南高橋を渡る 
創架年代は、昭和六年(一九三一)に起工、同七年三月に竣工。
現在の南高橋の地には江戸時代には木橋は架橋されておらず、亀島川上流に高橋があったのみでした。大正十二年(一九二三)の関東大震災ののち、街路の大規模な区画整備が行われた時に当時の本湊町と対岸の越前堀一丁目との間の亀島川に新しく橋を架けることになりました。 |
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亀島川に架かる南高橋 亀島川水門 
亀島川水門は、亀島川が隅田川と合流する地点に位置し、周辺流域を高潮の侵入から守るための防潮水門です。
台風などによる高潮や津波が発生し河川の水位が上昇したとき、地盤高の低い地域では浸水などの災害が起きる恐れがあります。こ
のようなときに水門を閉鎖して水害を防ぎます。
また、大きな地震があったときも直ちに閉鎖して津波に備えます。 |
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亀島川に架かる南高橋 亀島川水門  |
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湊一丁目交差点で左折、鉄砲州通りへ  |
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鉄砲州通り 鉄砲洲稲荷神社  |
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鉄砲州通り 鉄砲洲稲荷神社 
鉄砲洲稲荷神社は、江戸湊の入口に鎮座する神社として、地域の人々の信仰を集めてきました。
神社は、寛永元年(一六二四)頃、稲荷橋南東詰に遷りましたが、明治元年(一八六八)現在地に移転し、今日に至っています。
西北隅には富士山の溶岩で築いた富士塚があり、そこを富士信仰の場としていました。むかしの富士塚は「江戸名所図会」にも描かれた有名なものでした。 |
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鉄砲州通り 鉄砲洲稲荷神社 富士塚 
本殿右に鉄砲州浅間神社の案内があり、その奥に富士塚がある。 |
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鉄砲州通り 鉄砲洲稲荷神社 富士塚 
本殿の右奥にあり、分かりにくい所にある。普段は柵が設けられており、中に入ることはできない。 |
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鉄砲州通り 鉄砲洲稲荷神社 富士塚  |
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鉄砲州通り 鉄砲洲稲荷神社の斜め先の交差点で左折  |
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突き当りの堤防の階段で隅田川テラスへ  |
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隅田川テラス 入口 界隈案内図  |
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隅田川テラス 入口 界隈案内図 
@鐵砲稲荷神社
江戸時代には、江戸湊に面して鎮座する稲荷神社として人びとの信仰を集め、1868年に現在地へ移転しました。関東大震災によって被害を受けた境内は、1935年から復興・整備され、現存する主要な建物はこのとき建造されました。 |
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隅田川テラス 入口 界隈案内図 
A南高橋
南高橋は、1932年に亀島川に架けられた鉄橋です。橋の本体には、1923年の関東大震災の被害を受けた隅田川の旧両国橋の中央径間部分がそのまま使用されています。 |
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隅田川テラス 入口から見た中央大橋  |
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隅田川テラス 石川島公園 石川島灯台 
石川島の灯台は1866年(慶応2年)、石川島人足寄場奉行清水純時が、隅田河口や品川沖航行の船舶のため、油絞りの資金を割き、人足の手で寄場南端に常夜灯を築かせたもので六角二層の堂々たる灯台であった。この完成を最も喜んだのは近在漁師であった。 |
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隅田川テラス 佃大橋  |
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隅田川テラス 佃大橋 聖路加ガーデン 聖路加タワー  |
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隅田川テラス 聖路加ガーデン 聖路加タワー 
晴海トリトンスクエア同様、空中回廊があるが、地震で崩壊しないだろうかと心配になる。 |
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隅田川を下る遊覧船  |
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隅田川テラス 勝どき橋  |
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隅田川テラス 勝どき橋 
「勝鬨」橋の名前は、日露戦争での「皇軍大捷」に由来する。 |
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隅田川テラス 西詰めの階段を上り晴海通りへ  |
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晴海通り 勝どき橋西交差点 
交差点の向かいは築地市場である。 |