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隅田川テラス(西岸) 亀島川水門から見た霊岸島水位観測所、月島リーバーシティ21 |
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隅田川テラス(西岸) 亀島川水門から見た聖路加ガーデン
中央やや右の高い建物は、聖路加病院に隣接したセントルークスタワーである。 |
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隅田川テラス(西岸) 隅田川に架かる中央大橋 |
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隅田川テラス(西岸) 中央大橋手前下に繋船する水上バス
水上バス乗船場は閉鎖されており、近付くことはできない。 |
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隅田川テラス(西岸) 隅田川に架かる中央大橋
逆光で見えにくいが、中央大橋の上流側中央にオッシプ・ザッキン作 「メッセンジャー」の巨像がある。
両都市と両河川をつなぐ友情を記念して、パリ市は東京都へオッシプ・ザッキン作「メッセンジャー」を寄贈する。 92年10月27日 東京にて
本作品は、1937年オッシプ・ザッキン47才の時の作品である。 この年に開かれた「パリ万国博覧会」に出品された作品であり、オッシプ・ザッキンの作品の中でも大作の一つに数えられている。 |
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隅田川テラス(西岸)から見た東京ダイヤビル |
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隅田川テラス(西岸)から見た東岸の大島川水門
コースは永代橋を渡り、隅田川テラス(東岸)を下って大島川水門に向かう。 |
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隅田川テラス(西岸) 隅田川に架かる永代橋
永代橋の左奥に東京スカイツリーが見える。 |
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隅田川テラス(西岸) 左奥に見える東京スカイツリー |
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隅田川テラス(西岸) 隅田川に架かる永代橋 |
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隅田川テラス(西岸) 永代橋西詰の案内板
赤印が現在地の永代橋で、直ぐ右(上流)に注ぎこむのは日本橋川、上流の首都高深川線と共用するのは隅田川大橋である。 |
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隅田川テラス(西岸) 永代橋西詰の案内板
@ 永代橋
永代橋は、元禄年間に「深川の大渡し」に代わって架けられ、佐賀町付近(現在の佐賀一丁目付近)が昔、永代島と呼ばれていたため、永代橋と名付けられました。橋の両際には、広小路を設けて橋番屋が設けられ、高札を立て、武士、医師、出家神主以外の通行人から橋銭を取る有料橋でした。上流の清洲橋の女性的な優美さに相対し、男性的な重量感を持っています。
隅田川と一体となって地域のランドマークとしての役割を果たすとともに、建設された時代の特色を表していることから、1999年に東京都選定歴史的構造物に選定されました。 |
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隅田川テラス(西岸) 永代橋西詰の案内板
A日本橋川
日本橋川は、江戸時代には物流の中心として市民のくらしを支え、築地に移転する前の魚河岸や、多<の河岸(かし)があり、たいへん賑わいました。また現在も、明治・大正時代に架けられた著名な橋梁や、周辺には当時の栄華をしのばせる西洋建築物が現存するなど、江戸・東京の歴史を残す川となっています。金融、証券の中心である東京証券取引所や日本銀行本店なども、この川沿いに立地しています。 |
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永代通り 隅田川に架かる永代橋を渡る
元禄11年(1698年)に上野寛永寺本堂の余材を使って作られた。当初は今より100m上流の深川の渡しに作られた。 文化4年(1807年)8月に、深川八幡の祭礼の人出で橋が崩落、多くの死者が出た。この時、南町奉行所同心渡辺小兵衛が刀を振り回し後続の流れを断ったことでも有名である。
目黒不動近くにある海福寺に永代橋崩落横死者供養塔がある。 |
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隅田川 永代橋から見た下流の月島リーバーシティ21
右奥に中央大橋が見える。 |
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永代橋東詰から隅田川テラス(東岸)に下りる |