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明治通りを南下
新砂二丁目交差点から入ってすぐ先に夢の島大橋がある。 |
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明治通り 砂町運河に架かる夢の島大橋を渡る |
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明治通り 夢の島アリーナ
かつてはハエなどが大量発生し、公害の象徴のように言われた埋め立て地の夢の島に、このような立派なマリーナが出来ているのは不思議な感じがする。 |
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明治通り なぎさ橋で左折、夢の島公園へ
夢の島マリーナを見てから、第五福龍丸展示館に行くことにする。 |
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夢の島公園 |
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夢の島公園 案内図
北は左で、鉄道は京葉線であり、駅は新木場駅である。左上には夢の島マリーナがあり、船の絵は第五福龍丸展示館を表している。 |
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夢の島公園 夢の島マリーナ |
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夢の島公園 第五福龍丸展示館 |
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夢の島公園 第五福龍丸展示館
展示館の表示は福「竜」丸であるが、大漁旗や船名に従い、福「龍」丸としている。 |
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夢の島公園 第五福龍丸展示館
この展示館には、昭和29年(1954年)3月1日、太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁におけるアメリカの水爆実験による被害を受けた木造のマグロ漁船「第5福龍丸」およびその付属品、関係する資料を展示しています。
日本の木造船による近海漁業は、今日でも行なわれていますが、かつてはこのような木造船で遠くの海までも魚を求めて行きました。
ここに展示してある漁船は、昭和22年(1947年)に、和歌山県で建造されたものです。初めは、カツオ漁船でしたが後にマグロ漁船に改造され、遠洋漁業に活躍したもので、上記の被爆後は、改造されて東京水産大学の練習船として使われ、昭和42年(1967年)に廃船となりました。
東京都は、このような遠洋漁業の姿を船の実物によって知っていただくとともに、原水爆による惨禍がふたたび起らないようにという願いをこめて、この資料館を建設しました。 |
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夢の島公園 第五福龍丸展示館
入館料は無料で、入口に大漁旗が掲げられている。 |
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夢の島公園 第五福龍丸展示館
船尾であるが、第一印象は大きい、の一語である。木造船なのでもっと小さいと思っていた。 |
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夢の島公園 第五福龍丸展示館
被爆当時の新聞などの情報が展示されている。館内は明るいが、死の灰を浴びた船、との思い込みがあり、うすら寒いものを感じる。 |
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夢の島公園 第五福龍丸展示館
第五福龍丸の航海図で、中央の色つき部分が被爆したビキニ環礁である。被爆後は一路日本に戻っているのが分かる。 |
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夢の島公園 第五福龍丸展示館
船首部分で、水産大学が使ったりしてきれいである。 |
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夢の島公園 第五福龍丸展示館
船首から船尾方向を見てもその大きさに驚く。 |
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夢の島公園 第五福龍丸展示館
1954年3月1日未明、静岡県焼津港所属の遠洋マグロはえ縄漁船、第五福龍丸は、太平洋マーシャル群島のビキニ環礁から東160キロの公海上で操業中に、アメリカの水爆実験によって被災しました。23名の乗組員全員が放射性降下物、いわゆる「死の灰」を浴び、無線長の久保山愛吉さんが半年後の9月23日に亡くなられました。
第五福龍丸のビキニ被災事件をきっかけに、広島・長崎の記憶が改めていっそう身近なものとしてよみがえり、原水爆はごめんだという気持ちが日本国民一人ひとりの心に深く刻まれました。
この展示館は、第五福龍丸の保存を求める多くの国民の平和への願いにこたえて、東京都により建設され、1976年6月に開館しました。 |
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明治通り かもめ橋下を進む
夢の島公園と、右手にある夢の島運動場とを結ぶ橋である。運動場には軟式野球場が12面、陸上競技場がある。 |
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明治通り 夢の島交差点で湾岸道路を渡る
湾岸道路(国道357号)は、北側は千葉方向の下り線、高架は首都高湾岸線で、高架を過ぎた側の湾岸道路は東京行の上り線である。 |
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明治通り 夢の島交差点
手前の道路は上りの湾岸道路で、高架は手前から京葉線、りんかい線、有楽町線である。 |
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新木場駅前 NECソフトビル
新木場駅前は昔と全く変わらず、正面にNECソフト本社ビルが2棟ある。 |
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新木場駅 エスカレータで三階へ |
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ゴール 新木場駅コンコース
エスカレーターを上った正面が東京メトロの切符売り場で、改札口が左にある。JRは切符売り場の右にあり、りんかい線はさらに右である。 |