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教育の森公園 入口 |
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教育の森公園 案内図
この公園は、東京教育大学のキャンバスでしたが、昭和53年3月末に閉学となったため、跡地を区が国から払い下げを受け、公園として整備したものです。
この公園のテーマは、「水と緑の防災公園」であり、平常時は区民の憩いの場として、ご利用いただくと共に、災害時は広域避難場所として、広く区民の皆さんにご利用いただくものです。 |
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教育の森公園 入口 |
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教育の森公園 ちびっこ広場
前日に降った雪が白く残っている。 |
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教育の森公園 文京スポーツセンター |
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教育の森公園 突き当りを左折
右折すると筑波大付属小に向う。 |
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占春園 入口 |
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占春園 行幸記念碑
昭和六年一〇月三〇日、東京高等師範学校創立六〇周年記念式典に天皇陛下の行幸を仰ぎ、それを記念して建てられた。行幸にあたり、「健全ナル国民の養成ハ一ニ師表夕ルモノノ徳化ニ竢ツ事ニ教育ニ従フモノ其レ奮励努カセヨ」との勅語を賜わった。 |
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占春園 行幸記念碑 |
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占春園 入口 |
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占春園
守山藩の上屋敷であった。延享三年(西紀一七四六)に建てられた碑文は、
「我が公の園は占春と名づく。その中観る所は、梅桜桃李、林鳥池魚、緑竹丹楓、秋月冬雪、凡そ四時の景有らざるは莫し。」
とある。当時は江戸の三名園(青山の池田邸、溜池の黒田邸)の一つであったという。池を落英池、橋を折柳橋という。 |
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占春園 遊歩道
前日の雪が残り、道がぬかるんでいたので立ち入らなかった。 |
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占春園出口から湯立坂 窪町東公園へ |
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占春園 出口
この辺りは、幕末までの200年ほどの間、徳川光圀の弟を藩祖とする陸奥守守山藩松平家の上、中屋敷の地であった。占春園は、この屋敷内にひらかれた庭園の名残である。
「林には鳥、池には魚、緑の竹と赤い楓、秋の着き、冬の雪」と、四季それぞれの庭の美しさでその名が知られ、当時の江戸三名園の一つに数えられていた。
明治36年(1903)、東京高等師範学校(戦後の東京教育大学、筑波大学に改組)が、湯島からこの地に移り、占春園は、校地の一部になった。現在は、筑波大学付属小学校の自然観察園として、同校が管理し、区民にも公開されている。 |
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湯立坂 窪町東公園を下る |