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第5回 経済・金融・ビジネス、日本の中心を歩くスタート 有楽町線 桜田門駅
桜田門〜皇居外苑〜和田倉門〜東京駅丸の内口〜東京サンケイビル〜常盤橋公園〜日本銀行本店〜本町二丁目交差点〜兜町〜茅場町〜八丁堀〜築地場外市場〜築地〜汐留シオサイト〜JR新橋駅〜内幸町〜霞が関〜桜田門(総行程 8.5km)
【撮影記録】
平成21年 12月 8日 快晴
10:45〜14:15 12,700歩(昼食 15分)(概算 10.2km)
暖冬とのことで、さすがに半袖にはならなかったものの少し暑かった。12月の中旬になろうとするため、いちょう並木も裸木が目立った。 |
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桜田門交差点 内堀通り方向
桜田門交差点は半蔵門から来る内堀通りと、霞が関官庁街から来る桜田通り(国道1号)と交差する。 |
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桜田門交差点 警視庁
桜田門と言えば警視庁である。 |
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皇居 桜田門 凱旋濠
桜田門に向かって右手には凱旋濠、左には桜田濠が見える。 |
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皇居 桜田門 |
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皇居 桜田門
桜田門も大手門などと同様桝形門で、外門を入って直角に再度入る構造になっている。 |
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皇居 桜田門 |
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皇居外苑
皇居外苑を二分し、南北に内堀通りが走っている。皇居は内堀通りを走るランニングコースとして有名だが、皇居外苑内は禁止となっており、歩道を走る。 |
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皇居外苑 二重橋
毎度おなじみの風景であるが、手前の石橋と後方の鉄橋とはさほど高低差がないように見える。しかし、天皇誕生日の一般参賀で実際に渡ったが、とてつもなく高低差があるのには驚かされる。 |
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皇居外苑 二重橋 |
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皇居外苑 二重橋前交差点で左折、内堀通りへ
前日に暴走事故があり、中国人旅行者が死亡、1名重体、1名軽症となった。その検証が行われており、事故でよく見る黒い標識がいくつも立てられていた。ここは普段から観光客の横断が頻繁で、何で暴走したのか分からない。 |
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皇居外苑 内堀通りを北上
赤レンガ風の建物は、行幸通りの和田倉門交差点にある東京海上日動ビル本館である。 |
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皇居外苑 内堀通りを北上
周囲のビルの中では低層ではあるが、赤レンガ風の東京海上日動ビル本館は目立つ。 |
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内堀通り 右折して行幸通りへ |
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行幸通りを東進
東京駅丸の内中央口と、皇居とを結ぶ行幸通りもいちょう並木で有名であるが、さすがに裸木となっている。 |
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行幸通り 和田倉門噴水公園
平成7年の皇太子のご成婚を機に、今上天皇のご成婚記念で昭和36年に作られた大噴水を再整備。高さ8.5mまで噴き上げる大噴水のほか、高さ5.5m長さ30mの滝などを流水か結ぶ。、 |
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行幸通り 和田倉門噴水公園 |
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行幸通り 和田倉門 |
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行幸通り 和田倉門
特別史跡 江戸城跡
江戸城は長禄元年(一四五七)に太田道灌によって創築されたが、天正十八年(一五九〇)に北条氏が滅亡し、徳川家康が居城をここに定めた。
以来、家康、秀忠、家光の三代にわたって西の丸、北の丸の増設や外郭の整備が行われ江戸城の総構が完成した。
明治維新後江戸城は皇居となり、昭和二四年に西の丸下及び現在の皇居を取りまくお濠の地域が「国民公園皇居外苑」として一般に開放され、昭和四四年からは北の丸地域が加えられ広く国民に親しまれている。
この江戸城跡は、三百年近くにわたる将軍の居所として、また政治の中心としての史的価値が極めて大きく、その規模はわが国随一のものであることから、昭和三八年五月三十日に文化財保護法による「特別史跡」に指定された。 |
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行幸通り 和田倉門
左の和田倉濠に架かるのは和田倉橋で、奥に遺構がある。 |
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行幸通り 和田倉門交差点で日比谷通りを渡る
正面には改装中の東京駅丸の内口が見え、左には赤レンガ風の東京海上日動ビル本館があり、右後方には丸ビルがある。 |