早稲田大学 西早稲田キャンパス
(大隈講堂、大隈会館)〜穴八幡神社〜
早稲田大学 戸山キャンパス(文学部)
(English)
大学点描 早稲田大学
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リーガロイヤルホテル 東京 平成6年オープンで、以前はリーガロイヤルホテル早稲田と言った。早稲田大学の大隈会館の一部と位置づけられたが、慣れない武士の商法、早稲田の商法と揶揄された。以前は大隈会館で結婚する人もおり、部下の後輩がこのホテルで、と計画したが、あまりの値段の高さに断念した。 |
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早稲田大学の象徴 大隈講堂 創始者の大隈重信侯爵の遺志を汲み、昭和2年(1927年)に建設された。時計塔の高さは125尺(約38m)で、これは大隈侯の人生125歳説に因むことで有名。 時計台の中は普段入れないが、10月の稲門祭ではツアーがあり、大礼服の大隈侯像などが見られる。 |
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大隈会館 | |
大隈会館 応援歌 紺碧の空の碑 紺碧の空は応援歌ではあるが、第2校歌とも言うべき名歌である。神宮球場は言うまでも無く、飲み会、同期会と何度歌ったか分からない。数年前には無かった碑である。 |
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大隈庭園 週末なので、閉園である。もっとも、開園していたら、狭い庭園に今回の参加者が殺到し、収拾が取れなかったろうと思う。 |
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大隈会館とリーガロイヤルホテル | |
早稲田大学 「早稲田の道は世界に通ず。」、と言われ、門は無く、近所の子供が遊び、割烹着を着たおばさんが買い物の近道に使っていた。70年安保で大学がロックアウトした時に移動式の門が出来、現役の学生として、不細工、と嘆いたものだった。 |
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早大南門通りを文学部へ向う。 | |
穴八幡宮神社 馬場下町交差点にある穴八幡は流鏑馬で知られる。 |
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穴八幡宮神社 穴八幡宮神社は、 源義家が奥州征伐の帰りに、この地に兜と太刀を奉納したのが始まりと伝えられる。江戸時代、 敷地内に不思議な穴が見つかり、金属製の阿弥陀像が出土したことから、穴八幡宮というようになった。一般には穴八幡と呼ぶ。 |
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穴八幡宮神社 古書祭り 早稲田大学が後援となっていた。 |
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穴八幡宮神社 布袋像の水鉢 慶安2年(1649年)の銘があり、同年徳川家光が吹上御苑に有ったものを奉納したと伝えられる。 |
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穴八幡宮神社 布袋像の水鉢 | |
穴八幡宮神社 | |
穴八幡宮神社 | |
早稲田大学 文学部 右側は記念会堂で、入学式や卒業式に使うだけでなく、昭和39年(1964年)の東京オリンピックでは体育館としてフェンシング会場となった。 |
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早稲田大学 文学部 大隈侯像 | |
早稲田大学 文学部 | |
大隈侯 御用達の蕎麦屋 三朝庵 馬場下町交差点の穴八幡の対角線上にある。左の道は早大南門通りで、早稲田大学の正門に、反対側は文学部である。 |