日暮里~日暮里繊維街~善祥寺~
芋坂~谷中霊園
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JR主催 日暮里駅開業100周年記念 レトロな街「谷中・根津・千駄木」を歩く 山手線 日暮里駅 日暮里~日暮里繊維街~谷中霊園~谷中へび道~森鴎外旧居跡~根津神社~鴎外記念本郷図書館~谷中ぎんざ~日暮里(総行程9.3km) |
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JR 山手線 日暮里駅 | |
日暮里駅前の太田道灌像 | |
太田道灌と言えば山吹の花 道灌像の下にあり、有名な山吹の歌に因んでいる。 七重八重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞかなしき |
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日暮里駅前の桜並木 1週間前の開花宣言後、一気に開花し、満開となった。 |
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尾久橋通りを越え、日暮里の繊維街へ向かう。 | |
日暮里 繊維街 尾久橋通りから、尾竹橋通りの間を繊維の商店が並ぶ。 大正時代浅草界隈で営業していた古繊維、裁落業者業者たちが行政指導により日暮里周辺に移動したのが始まりである。服地、ボタンなど生地織物に関するあらゆる物が売られている。 |
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日暮里 繊維街 | |
右折し、尾久橋通りを日暮里駅へUターン。 | |
善性寺 善性寺は日暮里駅近くにあり、長享元年(1487年)の開創で、寛文4年(1664年)に六代将軍家宣の生母が葬られて以来、将軍家ゆかりの寺となった。宝永年間(1704~1711年)に弟の松平清武がここに隠棲し、家宣のお成りがしばしばだったことから、門前の音無川に架けられた橋に将軍橋の名が付けられた。 善性寺の向かい芋坂下に文政2年(1819年)に開かれたと言う藤の木茶屋(現在の羽二重団子)がある。 |
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善性寺 | |
善性寺 | |
羽二重団子(藤の木茶屋) | |
羽二重団子(藤の木茶屋) | |
羽二重団子(藤の木茶屋) 芋坂入り口にある道標で、左根岸道とある。 |
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羽二重団子(藤の木茶屋) 正岡子規と泉鏡がこの店のことを書いているが、いずれもおいしく繁盛している、となっている。 |
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羽二重団子(藤の木茶屋) 善性寺から谷中墓地へと登る坂で、坂名の由来は分からない。一説によると自然薯(山芋)がこの付近で取れたことに因むと言う。 |
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芋坂跨線橋から見た日暮里駅 | |
芋坂 谷中墓地入り口にあり、この碑によるとこの付近で自然薯(山芋)が取れたのに因むと言う。 |
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谷中霊園 ぎんなん通り 芋坂から谷中霊園に入った通りで、旧や中天王寺のある霊園中央に至る。 谷中墓地は明治7年に天王寺と徳川家墓地の一部を東京の公共墓地として開設した。 |
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谷中霊園 さくら通り いちょう通りと交わった所が霊園の中央で、消失した幸田露伴の小説で有名な天王寺の五重塔跡がある。この傍に長谷川一夫の墓があり、左折して桜並木を歩く。 |
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谷中霊園 さくら通り | |
谷中霊園 長谷川一夫家墓所 霊園の中央で、交番の向かいにある。あまりにも新しい墓のため、あの名優の墓だろうか、と迷う人も多い。 |
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谷中霊園 長谷川一夫家墓所 | |
谷中霊園 さくら通り 2週間前は枯木同然だった桜並木であった。このさくら通りを出る手前に徳川慶喜の墓所がある。 |