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雑司が谷七福神 毘沙門天 清立院
雑司ヶ谷霊園から坂を下り、右に清立院がある交差点で右折し進むと突き当りが都電荒川線である。 |
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雑司が谷七福神 毘沙門天 清立院 |
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突き当りを左折、都電荒川線の線路沿いに南下
左に大鳥神社の鳥居が見える。 |
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都電荒川線の踏切を渡り、大鳥神社へ |
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雑司ヶ谷 大鳥神社
正徳年間鬼子母神境内に鷺明神として創祀せらる。
明治維新、神仏分離の令に依り、大門欅並木の料亭蝶屋地内に大鳥神社と改称 仮遷座す。これを憂い旧幕臣矢嶋昌郁氏自己の宅地を社殿として奉献、永久鎮座の地漸く定まる。その後、境内地を 漸次拡張し、現状となる。
「大鳥神社」の碑の後ろに昭和15年、徳川義親侯勤書と書かれていた。 |
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雑司ヶ谷 大鳥神社 |
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雑司ヶ谷 大鳥神社
正徳年間(1711〜1716)に鬼子母神の中に作られた鷲神社を、明治の神仏分離により移転し大鳥神社と改称。 旧幕臣の矢嶋昌郁氏が社地を寄贈して現在地に祀られた。 11月の酉の市はとくに賑わう |
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雑司ヶ谷 大鳥神社 雑司が谷七福神 西宮神社(恵比寿神)
大鳥神社が江戸時代に法明寺鬼子母神堂境内に鎮座していた頃、「えびす様」が合祀されておりましたが、明治の神仏分離によって現在の地にご遷座されました以降はその行方は分からなくなっておりました。 ところが、平成二十二年に雑司が谷の地に七福神が創設され、それに伴い同年の九月二十九日に元々大鳥神社と一緒に祀られておりました「えびす様」を兵庫県のえぴす宮総本社であります摂津西宮神社よりその御分霊を戴き、この大鳥神社の境内社としてご鎮座されました。えびす様は七福神でも唯一の日本が起源の神様で、商売繁盛の神として親しまれております。 |
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雑司ヶ谷 大鳥神社 江戸・東京の農業 雑司ヶ谷ナス
江戸時代、清戸坂の北側一体は雑司ヶ谷村の畑(現在の雑司ヶ谷墓地は一部)で、坂の道ぞいには雑司ヶ谷清戸村百姓町があり、江戸への野菜供給基地としてナスのほか、ダイコンや青莱などを生産していました。
とくに、味がいいと評判になった雑司ヶ谷ナスは、江戸時代後半から大正時代の中頃までもてはやされていました。
ナスの栽培には。下肥(人糞尿)や馬糞が多く使われていました。
ナスはその用途が広いため需要も多くて、キュウリと並んで夏野莱のなかで重要な地位を占めていました。大正時代の中頃まで、伝統的栽培技術は引き継がれ、その後、年毎に早く収穫できる技術が開発されたことから、昭和の初めにはタネまきの最盛期は、2月15日前後となりました。
文献によると当時北豊島郡(現在の荒川・板橋・北・豊島・練馬の各区)におけるナスの作付け面積は、約200ヘクタールと記されています。 |
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雑司ヶ谷 大鳥神社 南門から出て右折
大鳥神社を出て右折、道なりに歩くと鬼子母神に着く。 |
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丁字路で直進、雑司ヶ谷 鬼子母神へ
左折すると表参道の大門ケヤキ並木である。 |
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雑司ヶ谷 鬼子母神 法明寺鬼子母神堂
雑司ヶ谷 鬼子母神は別ページにまとめた。 |
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鬼子母神 表参道 都電荒川線 踏切
右手に三ノ輪駅行きの、踏切を渡り左に早稲田駅行きの停車場がある。
踏切を渡り左折、線路沿いに歩く。 |
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東京メトロ 副都心線 雑司が谷駅
都電荒川線の線路沿いにあり、表参道との踏切と大鳥神社の石鳥居のほぼ中間にある。
後方に池袋のランドマークであるサンシャイン60が見える。 |
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東京メトロ 副都心線 雑司が谷駅 |