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中央通り 銀座八丁目交差点 博品館
新橋交差点から東京高速道路の高架を抜けると銀座八丁目交差点で、おもちゃ屋の博品館がある。博品館は中国からの団体客でいつも賑わっている。
東京高速道路は首都高に接続されているが、汐留〜京橋を結ぶ無料の会社線である。 |
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中央通り 銀座八丁目風景
例えば銀座八丁目交差点から次の交差点までが八丁目である。 |
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中央通り 銀座七丁目交差点 ヤマハ銀座ビル |
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中央通り 銀座六丁目交差点 銀座松坂屋本館 |
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中央通り 誕生感謝祭のユニクロ |
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中央通り 銀座五丁目交差点 ニューメルサ |
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東京メトロ 銀座線 銀座駅 |
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中央通り 銀座四丁目交差点 和光 時計塔
銀座のシンボルとして名高い。 |
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中央通り 銀座四丁目交差点 銀座三越 |
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中央通り 銀座三丁目交差点 松屋銀座
電線の地下化がいかに景観に役立つかがよく分かる。 |
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中央通り 銀座二丁目交差点 ブルガリ銀座タワー店 |
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中央通り 銀座一丁目交差点 |
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中央通り 銀座通り口交差点
交差点の左には旧京橋の親柱(交差点右、南詰に展示)を模した交番がある。 |
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中央通り 銀座通り口交差点 京橋の親柱
京橋は、慶長八年(一六〇三)の創建とされる日本橋とほぼ同時期に初めて架けられたと伝えられる歴史のある橋です。昭和三十八年から四十年にかけての京橋川の埋立工事に伴って撤去されましたが、その名残を留めるものとして、石造の親柱二基と、石およびコンクリート造の親柱一基が残されています。
このうち、。二基の石造親柱は、明冶八年(一八七五)に石造アーチ橋に架け替えられた時のものです。江戸時代の伝統を引き継ぐ擬宝珠の形をしており、詩人の佐々木支陰の筆による「京橋」と「きやうはし」の橋名か彫られています。
また、石およびコンクリート造の親柱は、大正十一年(一九二二)の拡張工事でアール・デコ風の橋に架け替えられた時のものです。照明
設備を備えた近代的な意匠を持ち、「京橋」と「きようはし」の橋名と、「大正十一年十一月成」の銅板プレートが付けられています。
明治・大正とニつの時代に設置された親柱は、近代橘梁のデザインの変化を知ることができる貴重な建造物として、中央区民文化財に登録されています。 |
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中央通 銀座通り口交差点り 京橋の親柱 |
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中央通り 京橋交差点 |
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中央通り 京橋 明治屋本社 |
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東京メトロ 銀座線 京橋駅 |
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中央通り 日本橋三丁目交差点で八重洲通りを渡る |
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中央通り 日本橋三丁目交差点 平和の鐘 |
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中央通り 日本橋三丁目交差点 平和の鐘 |
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中央通り 日本橋三丁目交差点 平和の鐘、ヤン・ヨーステン像 |
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中央通り ヤン・ヨーステン像
平和の鐘と一緒の所にあり、中央上のV字のマークはオランダ東インド会社の印である。 |
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中央通り ヤン・ヨーステン像
ヤン・ヨーステン 1557頃〜1623
1600年(慶長5年)、オランダ船リーフア号でウイリアム・アダムスらと共に豊後に漂着した。そのまま日本に留まり、徳川家康の信任を得て、外交や貿易について進言する役目についた。彼の江戸屋敷は現在の和田倉門ー日比谷門間の内堀の沿岸に与えられ、この地が彼の名にちなんで八代洲河岸(やよすがし)と呼ばれて、明治まで続いた。現在は中央区の八重洲としてヤン・ヨーステンに因む地名が残っている。 |
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中央通り 日本橋三丁目交差点 平和の鐘 |