大妻通り〜靖国神社〜神保町
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半蔵門通り 袖摺坂 ![]() この坂を袖摺坂といいます。むかし、この坂道は行きあう人の袖と袖がふれあうほどせまいので、その名がついたといわれます。幅のせまい道をこのように名付けた坂は他にも見られます。 |
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半蔵門通り 袖摺坂 ![]() |
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半蔵門通り 滝廉太郎居住地跡 ![]() 滝廉太郎は、この交差点から西に一〇〇メートル程の所(一番町六番地ライオンズマンションー番町第二)に明治二十七(一八九四)年ごろから三十四(一九〇一)年四月まで居住していました。 今日でも愛唱されています名曲「花」・「荒城の月」・「箱根八里」・「お正月」・「鳩ぽっぽ」など、彼の作品の多くはそこで作られました。 |
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半蔵門通り 滝廉太郎居住地跡 ![]() |
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大妻通り ![]() 言うまでもなく、女子大を始めとする大妻学院に由来する。 |
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大妻通り 大妻学院 ![]() |
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大妻通り 大妻学院 ![]() |
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大妻通り 佐野善左衛門宅跡 ![]() 標識の後ろ側、大妻学院の辺りには、元禄十一年(一六九八)から、旗本佐野家の屋敷がありました。佐野家は、禄高五〇〇石で、代々、江戸城の警備を勤めていました。天明四年(一七八四)三月二十四日、ときの当主佐野善左衛門政言は、江戸城中之間において、老中田沼意次の子で若年寄の田沼山城守意知に斬りつけました。回沼意知は傷がもとで四月二日に死去し、佐野政言も翌日切腹を命じられ、御家断絶となりました。しかし、世間の人々からは「世直し大明神」とあがめられました。また、佐野家の屋敷には桜の名木があり、番町の名物として知られていました。 |
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大妻通り 御厩谷坂 ![]() この坂を御厩谷坂といいます。「新撰東京名所図会」には「一番町と上六番町との間、すなわち井伊家邸前より南の方に係れリ。厩谷もと御厩谷という。むかし徳川将軍家の厩舎ありしに因リ此の名あり。」と記されています。また、「新編江戸志に今も紅梅勘左衛門殿やしきに御馬の足洗いし池残りてあるなりというと見えたり」ともかかれています。 |
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大妻通り 御厩谷坂 ![]() |
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大妻通り ![]() 日枝山王神社の山王祭は、神田明神の天下祭と隔年で開催され、浅草神社の三社祭と合わせて三大祭と称される。 |
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大妻通り 靖国神社南門交差点で右折、靖国通りへ ![]() |
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靖国神社 南門 ![]() |
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靖国神社 拝殿 ![]() |
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靖国神社 神門 ![]() |
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靖国神社 参道 ![]() |
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靖国神社 参道 青空骨董市 ![]() |
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靖国神社 参道 青空骨董市 ![]() |
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靖国神社 大鳥居(第一鳥居) ![]() |
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靖国通り 田安門 ![]() 靖国神社の大鳥居を出た所が北の丸公園の田安門である。 |
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東京メトロ(旧営団) 半蔵門線 九段下駅 ![]() |
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靖国通り 九段坂 ![]() この坂を九段坂といいます。古くは飯田坂ともよびました。新撰東京名所図会には、「九段坂は、富士見町の通りより、飯田町に下る長阪をいふ。むかし御用屋敷の長屋九段に立し故、之を九段長屋といひしより此阪をば九段阪といひLなり。今は斜めに平かなる阪となれるも、もとは石以てて横に階を成すこと九層にして、且つ急嶮なりし故に、車馬は通すことなかりし(後略)」とかかれています。 |
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靖国通り 九段下交差点で目白通りを渡る ![]() 道路標識の後ろの建物は九段会館(旧軍人会館)で、九段下交差点までは内堀通り、越えると目白通りとなる。 |
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靖国通り 神保町交差点で白山通りを渡る ![]() 白山通り下を都営三田線が走り、左に行くと水道橋、巣鴨へ、右に行くと大手町に行く。 |
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東京メトロ(旧営団) 半蔵門線 神保町駅 ![]() |