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北千住駅〜上野駅〜秋葉原駅
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地図上の歩行距離 7.7km(システムの機能上、実際のルートと違う場所があります)
Nkm/Mkm N:区間距離、M:起点からの累積距離
経路 A:北千住駅〜旧千住宿〜日光街道〜コツ通り(吉野通り)〜B:南千住駅(2.3km)〜
投げ込み寺 浄閑寺〜C:三ノ輪駅(1.0km/3.3km)〜昭和通り〜
D:入谷駅(1.4km/4.7km)〜昭和通り〜E:上野駅(1.2km/5.9km)〜
昭和通り〜F:仲御徒町駅(0.5km/6.4km)〜昭和通り〜G:秋葉原駅(1.3km/7.7km)
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北千住駅〜旧千住宿〜南千住駅
北千住駅から西口商店街を歩き、最初の交差点で右折、宿場町通りへ入ると千住宿本陣跡の案内板がある。反対に左折し、本町商店街を南下して東京芸術センター前の問屋場・貫目改所跡の碑を過ぎると千住仲町商店街である。南下して墨堤通りとの千住仲町交差点手前には源長寺があり、山門前に延命子育て地蔵がある。
千住仲町交差点を過ぎると、やっちゃ場跡のようなかつての千住宿の街並みを示す掲示が目に付く。千住大橋北詰の足立市場前交差点手前には奥の細道プチテラスがあり、松尾芭蕉の石像や奥の細道と千住宿の説明板などがある。交差点の向かいには矢立初めの地碑があり、隅田川に架かる千住大橋を渡って日光街道を南下、素盞雄(すさのお)神社がある南千住交差点で左折、コツ通り(吉野通り)へ入る。
コツ通りの由来については小塚原(こつかっぱら)の略称を冠したという説もあるが、小塚原刑場に因み、骨(コツ)だ、との説もあり、こちらのほうが説得性がある。常磐線高架の左に日比谷線南千住駅があり、コツ通り(吉野通り)の向かい側に出て少し北上すると小塚原回向院がある。史跡参拝所には高橋お伝、片岡直三郎(直侍)、鼠小僧次郎吉の墓や吉田松陰、頼三樹三郎ら多くの志士の慰霊碑がある。常磐線建設により回向院から切り離されて出来た小塚原処刑場跡の延命寺は、東日本大震災による復旧工事中の首切地蔵が有名である。南千住駅前歩道橋を渡り、常磐線、日比谷線を跨いで南側に出る。
三ノ輪駅〜上野駅〜秋葉原駅
吉野通りの地下連絡自動車道出口にある南千住二・三丁目交差点で右折、常磐線沿いに住宅街を西進して投げ込み寺で知られた浄閑寺山門に着く。安政2年(1855)の大地震の際、たくさんの新吉原の遊女が、投げ込み同然に葬られたことから、「投げ込み寺」と呼ばれるようになった。本堂裏の墓所には、花又花酔の有名な川柳「生まれては苦界、死しては浄閑寺」が彫られた新吉原総霊塔があり、永井荷風文学碑や山谷の労働者を慰霊するひまわり地蔵尊がある。浄閑寺のすぐ先の突き当りで左折、日光街道へ出て大関横丁交差点角の三ノ輪駅に至る。
昭和通りの三ノ輪交差点で国際通りを渡る。国際通りは地下をつくばエクスプレスが走り、酉の市で有名な鷲(おおとり)神社がある。下谷警察署前交差点を過ぎ、入谷駅の先で言問通りに入り入谷鬼子母神に立ち寄る。さらに昭和通りを南下し、左折するとかっぱ橋本通りの北上野一丁目交差点、左折すると東京メトロ唯一の踏切がある輸入代行店交差点と過ぎ、上野駅交差点で浅草通りを渡るとすぐ先の東京メトロ本社地下に上野駅がある。
昭和通りの台東四丁目交差点で春日通りを渡り南下すると仲御徒町駅で、台東二丁目交差点で右折し突き当りのガード左に2k540入口がある。台東二丁目交差点の表記はないが、昭和通りの反対側に京阪御徒町ビルがある。山手線ガード下の商業施設である2k540の出口は蔵前橋通りで、左折して山手線ガードを抜けてすぐの交差点で右折し、山手線沿いに南下する。秋葉原駅前のヨドバシAkibaやJR秋葉原駅の中央改札口を経て、日比谷線の秋葉原駅に至る。
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