|
東京メトロ 丸ノ内線 東京駅 丸の内中央口
【撮影記録】
平成24年 6月 26日 晴れ
9:50〜12:25 14,300歩(概算 10.0km 地図上 9.8km)
丸ノ内線 東京〜池袋
営業距離 8.7km 駅数 9
梅雨とは思えないほどきれいに晴れ上がった。残念ながら熱中症計が不調で湿度が表示されなかったが、蒸し暑い時があった。
長らく工事中だった伝通院の山門が竣工し、3月に落慶法要が行われた。白木造りがきれいな反面、重厚さがかける気もした。 |
|
JR東京駅 丸の内 地下通路
丸の内界隈再開発で丸ビル、新丸ビル、行幸通りの連絡地下通路が一新した。
しかし、だだっ広い空間でどこをどう歩けば良いのか分かりにくい。 |
|
行幸通り 新丸ビル横出入口 |
|
行幸通り 東京駅中央口交差点で左折、大名小路(都道402号)へ
都道402号(錦町有楽町線)は、東京駅界隈では大名小路と呼ばれる。どこからが大名小路というのか分からないが、丸の内界隈であることは確実である。 |
|
大名小路(都道402号) 新丸ビル前から見えるJR 東京駅 丸の内北口 |
|
大名小路(都道402号) 丸の内北口 日本工業倶楽部ビル |
|
大名小路(都道402号) 大手町駅前交差点で永代通りを渡る
交差点の向かい右は大手町野村ビルである。 |
|
錦町有楽町線(都道402号) 東京サンケイビル前交差点で千代田区道104号を渡る
左に東京サンケイビル、右に逓信総合博物館がある。千代田区の区道104号は左折すると日比谷通りとの交差点で読売新聞社本社があり、更に進むと平将門の首塚を経て内堀通りに至る。道路の通称はなく、各交差点も名称がないので、イベントではよく利用するが説明に困る道路である。 |
|
錦町有楽町線(都道402号) 逓信総合博物館(ていぱーく) |
|
東京メトロ 丸ノ内線 大手町駅
東京サンケイビル交差点にある。 |
|
錦町有楽町線(都道402号) 東京サンケイビル 赤いオブジェ |
|
錦町有楽町線(都道402号) 日本橋川に架かる鎌倉橋
橋の北詰右手には、まちの記録 「1944年 日本本土市街地への空襲が始まる」の案内板があり、機銃掃射の弾痕が残る。 |
|
錦町有楽町線(都道402号) 日本橋川に架かる鎌倉橋
「江戸名勝志」には「鎌倉がし、神田橋より常盤橋の辺の外の御堀はたを云」とあります。また「続江戸砂子」には「鎌倉町、かまくらがしと云、御堀ばた米屋多し」といってます。「東京案内」には「鎌倉町寛永の頃(一六二四〜四三)は士地にして、城地に沿う所を鎌倉河岸と称せり。天和二年(一六八二)火災後、始めて鎌倉町と称す。寛政十一年(一七九九)の災後商家を外に移し、濠沿いの道を広め、明治二年(一八六九)鎌倉横町南側代地、新革屋町飛地を合す」とあります。なお、鎌倉町は現在の内神田一丁目六番地二丁目二・三番地の区域にあたります。
天正一八年(一五九〇)家康入国頃の初期この河岸は、魚、青物のような生鮮食品をはじめ材木、茅などの物資の集まる所でありました。江戸城築城の時鎌倉から石材を荷揚げしたのでこの名がついたともいわれます。江戸中期以後も水上交通のターミナルとして重きをなし、木材、竹、薪などが多く荷揚げされました。昭和になっても建築材料の荷揚げが行われていました。また江戸時代この河岸の豊島屋十右衛門という酒屋で売出す雛まつりの白酒が有名でした。入る客、出る客をはかって売出したのですが、中にはあまりの人で絶倒する客があったといいます。この店も戦災までこの河岸にありましたが今も神田に残っています。 |
|
錦町有楽町線(都道402号) 鎌倉橋交差点を過ぎて外堀通りへ
鍛冶橋交差点で分かれた外堀通りは、八重洲口、常盤橋と回って右側から合流し、右折(写真から見れば直進)する。 |
|
外堀通り 神田西口通り交差点 |
|
外堀通り 神田西口通り交差点 |
|
外堀通り 司町二丁目交差点 |
|
外堀通り 淡路町交差点で靖国通りを渡る |
|
東京メトロ 丸ノ内線 淡路町駅
丸ノ内線は外堀通りを北上し、この交差点に淡路町駅がある。東西の靖国通りは都営新宿線が走り、交差点に小川町駅がある。 |