|
日本テレビ通り 善国寺坂
麹町大通り(新宿通り)に向かって坂を下った所が善国寺谷で、そこからの上り坂が善国寺坂である。 |
|
日本テレビ通り 善国寺坂
日本テレビ通りが麹町大通り(新宿通り)に出る所にある。
この坂を善国寺坂と言います。「新撰東京名所図会」には「善国寺坂、下二番町の間より善国寺谷に下る坂をいう。むかし此処の坂上に鎮護山善国寺にありしに因り名づく」鎮護山善国寺は標識の場所から見ると、右斜め前の辺りにありましたが、寛政一〇年(一七九八)の火事により焼失して牛込神楽坂に移転しました。坂下のあたりは善国寺谷、また鈴降(振)谷と呼ばれたといいます。 |
|
日本テレビ通り 善国寺坂 |
|
日本テレビ通り 麹町四丁目交差点で左折、麹町大通り(新宿通り)へ |
|
麹町大通り(新宿通り) 麹町四丁目交差点で右折、プリンス通りへ
名前は同じだが、日本テレビ通りからの出口とプリンス通りへの入口とは東にずれている。 |
|
麹町大通り(新宿通り) 麹町四丁目交差点で右折、プリンス通りへ
青山通り近くにある赤坂プリンスホテルに因んでいる。 |
|
プリンス通り 文藝春秋本社
昨年(平成24年)に創立90周年を迎えた出版社で、作家菊池寛が創業者である。 |
|
プリンス通り 明治薬科大学 剛堂会館 |
|
プリンス通り 明治薬科大学 剛堂会館
手書きの上に文字がかすれて読みにくく分かりにくい。
明薬発祥之地
明薬は明治三十五年四月医薬分業確立を理念として学祖恩田重信先生により創立され、同四十年七月現在地に明治薬学校々舎を建つ。
爾来震災戦災のため麹町笹塚野沢田無と変遷するも今日の大明薬に発展せしは創学精神の継承による。茲に発祥の地を明記する碑を建て母校の発展を祈り明薬史の道標となす。 |
|
プリンス通り 全国都市会館 |
|
プリンス通り 解体が進む旧赤坂プリンスホテル
赤坂プリンスホテルのシンボルとも言える新館は、特徴ある上層階を残したまま解体するという方式で話題になっている。 |
|
プリンス通り 解体が進む旧赤坂プリンスホテル
旧館(旧李王家邸)は残っている。朝鮮併合で皇族扱いとなった李氏朝鮮の皇太子に因んで「プリンス」の名前が付けられた。 |
|
東京メトロ 有楽町線 永田町駅
プリンス通りの諏訪坂沿いにある。 |
|
プリンス通り 諏訪坂
この坂を諏訪坂といいます。『新撰東京名所図会』には「北白川宮門前より、赤坂門の方へ下る坂を名く。もと諏訪氏の邸宅ありしを以ってなり。」とかかれています。また別の名を達磨坂ともいわれていますが、旧宮邸が紀州藩であり、その表門の柱にダルマににた木目があったため達磨門とよばれ、その門前を達磨門前、坂の名も達磨坂と人々は呼んだそうです。 |
|
プリンス通り 諏訪坂 |
|
プリンス通り 突き当りで左折、青山通りへ
首都高の高架の向こうには衆議院議長公邸がある。 |
|
青山通り 平河町交差点で右折、国道246号(支線)へ
国道246号は青山通りで、直進して三宅坂交差点に向かう。 |
|
青山通り 1900年 黒田清輝ここに住む
都道府県会館の外壁に掲示されている。
重要文化財の「湖畔」や「智・感・情」なとの作品を描いた明治・大正期の洋画家。この年、これらの絵画をパリ万博に出品し、銀賞を受賞した。 |
|
青山通り 平河町交差点で右折、国道246号(支線)へ
国道246号(支線)は永田町バイパスと言われ、参議院通用門前交差点まで特例都道(中央官衙)176号と共用する。 |
|
国道246号(支線) 自由民主党本部 |
|
国道246号(支線) 国会議事堂 参議院 |
|
国道246号(支線) 参議院通用門前交差点で分岐、特例都道(中央官衙)176号として直進
国道246号(支線)はここで右折し、特例都道(中央官衙)176号として直進する。 |
|
特例都道(中央官衙)176号 国立国会図書館
今はインターネットがあるので簡単な資料であれば手に入るが、40年ほど前の大学院生時代によく通った。その時と雰囲気は変わらない。第2外国語ではあるが、戦前の化学に関するドイツ文献は読めないので、引用しているアメリカの文献を探すのによく通った。 |
|
特例都道(中央官衙)176号 国立国会図書館 |