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万歩計



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蔵前駅〜駒形橋〜浅草駅

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江戸通り 蔵前三丁目交差点 江戸通り 蔵前三丁目交差点 
江戸通り 厩橋交差点で春日通りを渡る 江戸通り 厩橋交差点で春日通りを渡る 

大江戸線の蔵前駅はこの交差点の春日通り沿いにある。
江戸通り 駒形一丁目交差点 江戸通り 駒形一丁目交差点 
江戸通り 駒形二丁目交差点 泥鰌料理の老舗 駒形どぜう 江戸通り 駒形二丁目交差点 泥鰌料理の老舗 駒形どぜう 
江戸通り 駒形二丁目交差点 泥鰌料理の老舗 駒形どぜう 江戸通り 駒形二丁目交差点 泥鰌料理の老舗 駒形どぜう 

大学院時代に忘年会で利用したが、臭みはないものの泥鰌のオンパレードには参った。
江戸通り 駒形どぜう前 久保田万太郎句碑 江戸通り 駒形どぜう前 久保田万太郎句碑 

久保田万太郎先生は市井のひとを愛し、とくに また ふるさとをおなじくする浅草ッ子を愛した。ここに駒形どぜう 越後屋 五代 助七 その生前の厚誼をしのんで 先生をしたう情は まことに涙ぐましいものがあるが 昭和四十一年初夏 この句にゆかりの三社祭の吉日に当って駒形どぜうの店の前に いま 先生の句碑を立てる。旧称田原町三丁目なる先生の生家にもっともちかくこの句碑の立てられたことは さだめし先生も喜ばれていることと思われる。ここにつつしんでこれをしるす者は 同じく浅草ッ子のひとり

昭和四十一年五月十七日
安藤 鶴夫
江戸通り 駒形どぜう前 久保田万太郎句碑 江戸通り 駒形どぜう前 久保田万太郎句碑 
江戸通り 駒形橋西詰交差点で浅草通りを渡る 江戸通り 駒形橋西詰交差点で浅草通りを渡る 

右に駒形橋がある。

駒形(こまかた)の名は、浅草寺に属する駒形堂に由来する。土地の人々によれば、コマカタは清く発音してコマガタと濁らないと伝えている。ここは古来、交通の要地で、駒形の渡しのあったところである。
江戸の巷説に有名な、
 君はいま
 駒形あたり
 ほととぎす
の句は、文芸・美術などの上で、駒形堂とともに、この辺りの雰囲気を伝えるものである。
江戸通り 駒形橋西詰交差点で浅草通りを渡る 江戸通り 駒形橋西詰交差点で浅草通りを渡る 

浅草線はここから右に曲がり隅田川を渡る。浅草線の浅草駅の南端はこの交差点にあり、東京スカイツリーがきれいに見える。
江戸通り 駒形橋西詰交差点で浅草通りを渡る 江戸通り 駒形橋西詰交差点で浅草通りを渡る 
江戸通り 駒形橋西詰交差点 駒形堂 江戸通り 駒形橋西詰交差点 駒形堂 

駒形橋の西詰にある。「浅草寺縁起」によると、創建年代は朱雀天皇の天慶五年(九四二)で、建立者は安房守平公雅。名称由来は諸説ある。
江戸通り 駒形橋西詰交差点 駒形堂 江戸通り 駒形橋西詰交差点 駒形堂 

ご本尊ご示現の聖地 駒形堂

 駒形堂は、浅草寺ご本尊の聖観世音菩薩さまが、およそ千四百年前、隅田川より示現なされ、はじめて奉安された地に建つお堂。
 昔、この辺りは船着き場で、渡しや船宿もあり大変な賑わいをみせ、船で浅草寺参詣に訪れた人々は、まずこの地に上陸して駒形堂をお参りして、観音堂へと向かった。
 このお堂のご本尊さまは馬頭観音さまで、今も昔も、この地を行き交う人々をお守り下さっている。
 現在のお堂は平成十五年に再建されたもの。
 今もこの地はご本尊ご示現の聖地として、人々の篤い信仰に支えられ、毎月の十九日の馬頭観音さまのご縁日には、多くの参詣者で賑わう。
江戸通り 駒形橋西詰交差点 駒形堂 江戸通り 駒形橋西詰交差点 駒形堂 
江戸通り 駒形橋西詰交差点 駒形堂 浅草観音戒殺碑 江戸通り 駒形橋西詰交差点 駒形堂 浅草観音戒殺碑 
江戸通り 駒形橋西詰交差点 駒形堂 浅草観音戒殺碑 江戸通り 駒形橋西詰交差点 駒形堂 浅草観音戒殺碑 

 駒形堂は浅草寺の伽藍一つで、浅草寺本尊の聖観世音菩薩が隅田川から発見された霊地である。このため元禄五年(一六九二)、当地を魚鳥殺生禁断の地とする法度が出された。これを記念して、翌年(元禄六年)浅草寺第四世権僧正宣存が願主となり、戒殺碑が建てられた。殺生禁断の範囲は駒形堂を中心に、南は諏訪町より北は聖天岸に至る十町余の川筋だった。「御府内備考」によると、諏訪町・聖天町にも高札が建てられたという。 戒殺碑が建てられた駒形堂の堂宇は、江戸時代に何度か焼失している。戒殺碑も倒壊し、宝暦四年(一七五九)に堂宇とともに再建された。現在の碑は関東大震災後の昭和二年(一九二七)に土中より発見され、同八年の駒形堂再建と同時に修補されたものである。元禄当初の碑か、宝暦再建のものか定かでない。
 碑身は石造(安山岩)で、長方形円頭板状。正面及び両側面を研磨し、背面は野面のままである。台石は昭和八年修補時のもので、上面・正面・西側面・背面の五面を研磨してある。総高一八三・五cm、正面幅六一cm。銘文は「浅草寺誌」や「江戸名所図会」にも収載される。元禄期当時の信仰及びその周辺の状況を明らかにする貴重な資料である。
江戸通り 駒形橋西詰交差点 駒形堂 江戸通り 駒形橋西詰交差点 駒形堂 
江戸通り 駒形橋西詰交差点 駒形堂 江戸通り 駒形橋西詰交差点 駒形堂 

 『浅草寺縁起』によると、創建年代は朱雀天皇の天慶五年(九四二)で、建立者は安房守平公雅。名称由来には、
 @隅田川を舟で通りながらこの堂を見ると、まるで白駒が馳けているようなので、「駒馳け」の転訛。(『江戸名所図会』)
 A観音様へ寄進する絵馬を掛けたので「駒掛け堂」と呼んだのが訛る。(『燕石雑誌』)
 B駒形神を相州箱根山から勧請したのにちなむ。
『大日本地名辞典』)
これらの説がある。本尊は馬頭観世音菩薩。
 葛飾北斎・安藤広重らによって、堂は絵に描かれた。小さくとも、江戸で名高い堂だった。当時の堂の位置は現駒形橋西詰道路中央付近。堂は関東大震災で焼けた。
江戸通り 浅草 むぎとろ本店 江戸通り 浅草 むぎとろ本店 
東京メトロ 銀座線/都営 浅草線 浅草駅 東京メトロ 銀座線/都営 浅草線 浅草駅 

場所は吾妻橋で、表示は東京メトロの浅草駅であるが、地下連絡通路で浅草線の浅草駅と連絡している。

浅草線としてはここで右折し吾妻橋を渡るところだが、先に浅草寺を参拝することにした。



 
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