万歩計 トップ 首都圏の鉄道 目次 三田線H2409 目次 目黒〜三田〜大手町 目次  三田駅〜芝増上寺〜内幸町駅 目次  三田駅〜芝公園駅〜御成門駅  御成門駅〜内幸町駅〜日比谷駅  ページ ラスト 


万歩計



(Since H14-10-28)

目次









掲示板(一言どうぞ)


芝増上寺 散策H240912

【関連サイト】   三田線H1909
有名仏閣 芝増上寺


 直前のページに戻ります。

写真の一覧表へ 

日比谷通り 芝増上寺 重要文化財 旧台徳院霊廟惣門 日比谷通り 芝増上寺 重要文化財 旧台徳院霊廟惣門 

台徳院とは、2代将軍徳川秀忠の院号である。

芝公園の南にある芝生広場の北端にある。日比谷通り沿いに様々な芝増上寺の遺構が残る。
日比谷通り 芝増上寺 重要文化財 旧台徳院霊廟惣門 日比谷通り 芝増上寺 重要文化財 旧台徳院霊廟惣門 
日比谷通り 芝増上寺 重要文化財 旧台徳院霊廟惣門 日比谷通り 芝増上寺 重要文化財 旧台徳院霊廟惣門 
日比谷通り 芝増上寺 重要文化財 旧台徳院霊廟惣門 日比谷通り 芝増上寺 重要文化財 旧台徳院霊廟惣門 

木造仁王像 二躯

重要文化財「旧台徳院霊廟惣門」の左右に安置されている寄木造り、砥粉地彩色の仁王像で、方形の台座に乗った岩坐の上に立っています。
 平成十六年から十七年に行われた修理の際に、体内から修理銘札が発見され、元は埼玉県北足立郡戸塚村(現在の川ロ市西立野)の西福寺(真言宗)仁王門に安置されていたもので、寛政元年(一七八九)、弘化三年(一八四七)のニ度にわたり修理が行われていることがわかりました。さらに安政二年(一八五五)の暴風で破損したまま同寺の観音堂の片隅に置かれていたものを、昭和二十三年(一九四八)、同寺三重塔の修理と同時期に三度目の修理が行われた後で、東京浅草寺に移されたことも記載されています。その後の経緯は詳らかではありませんが、昭和三十三年ごろまでにはこの惣門に安置されたと考えられます。
 本像は十八世紀前半までには江戸の仏師によって制作されたと推測され、江戸時代の仁王像として破綻のない作行きを示す貴重な作品です。
日比谷通り 芝増上寺 旧方丈門(黒門) 日比谷通り 芝増上寺 旧方丈門(黒門) 

 増上寺の方丈(庫裡)の表門であったので方丈門とよばれ、また全体が黒漆塗であったために黒門ともよばれた。
 四脚門で、建造年代を明らかにする棟札などの記録は見出せないが、江戸特代初期の特徴を示す様式から十七世紀後半のものと推測される。
 蟇股には唐獅子や牡丹が浮彫されていて、精巧で写実的な図柄は、近世の建築彫刻の特色を示している。長年の風蝕のため、古色をおびているが、桃山建築の豪華さのおもかげがうかがえる。
日比谷通り 芝増上寺 旧方丈門(黒門) 日比谷通り 芝増上寺 旧方丈門(黒門) 

日比谷通り沿いの増上寺の遺構は旧台徳院霊廟惣門のように色鮮やかに修復されたものもあれば、黒門のように古びて目立たないものもある。、
日比谷通り 芝増上寺 三解脱門 日比谷通り 芝増上寺 三解脱門 
日比谷通り 芝増上寺 三解脱門前の説明板 日比谷通り 芝増上寺 三解脱門前の説明板 

三縁山 広度院 増上寺

 浄土宗の七大本山の一つ。
三縁山広度院増上寺(さんえんざんこうどいんぞうじようじ)が正式の呼称です。    
 開山は明徳四年(一三九三)、浄土宗第八祖酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)上人によって、江戸貝塚(現在の千代田区紀尾井町)の地に浄土宗正統根本念仏道場として創建され、文明二年(一四七〇)には勅願所に任ぜられるなど、関東における浄土宗教学の殿堂として宗門の発展に大きく寄与してきました。
 江戸時代初期、増上寺法主第十二世源誉存応(げんよぞんのう)上人、後の「観智国師」が徳川家康公から深く帰依(きえ)を受け、手厚い保護を受けました。
 慶長三年(一五九八)に現在の地に移転し、徳川将軍家の菩提寺として、また関東十八檀林(だんりん)の筆頭として興隆し、浄土宗の統制機関となりました。
 その規模は、寺領一万石余、二十数万坪の境内地、山内寺院四十八宇、学寮百数十軒、常時三千名の僧侶が修学する大寺院でした。
 現代でも浄土宗大本山として格式を保ち、宗教活勧のほか文化活勧も幅広く行われ、建造物、古文書、経典など多数の重要文化財を所蔵しています。
日比谷通り 芝増上寺 三解脱門前の説明板 日比谷通り 芝増上寺 三解脱門前の説明板 

三解脱門

 慶長十六年(一六一一)に徳川家康公の助成により、江戸幕府大工頭・中井大和守正清によって建立され、元和八年(一六二二)に再建されました。
 この門は、増上寺で唯一の江戸時代初期の面影を残す建造物で、重要文化財に指定されています。
 三解脱門は、別名「三門」と呼ばれ、三つの煩悩「貪欲(とんよく・むさぼり)、瞋恚(しんに・いかり)、愚痴(ぐち・おろかさ)」の三悪を解脱する悟りの境地を表しています。
 建築様式は三戸楼門、入母屋造、朱漆塗。唐様を中心とした建物に、和様の勾欄などが加味され、見事な美しさを見せています。
 その大きさは、間口十間余(約十九メートル)奥行五間(約九メートル)高さ七丈(約二十一メートル)の二重建て構造。
さらに左右には三間(約五.四メートル)の山廊を有しています。
 上層部(楼上)内部には、中央に釈迦三尊像、脇壇に十六羅漢像が安置されています。
日比谷通り 芝増上寺 三解脱門 日比谷通り 芝増上寺 三解脱門 
日比谷通り 芝増上寺 大殿 日比谷通り 芝増上寺 大殿 
日比谷通り 芝増上寺 有章院霊廟 二天門 日比谷通り 芝増上寺 有章院霊廟 二天門 
日比谷通り 芝増上寺 有章院霊廟 二天門 日比谷通り 芝増上寺 有章院霊廟 二天門 

有章院とは、7代将軍徳川家継の院号である。修築された旧台徳院(徳川秀忠)霊廟惣門との違いは歴然としている。
日比谷通り 芝公園三丁目歩道橋交差点で左折 日比谷通り 芝公園三丁目歩道橋交差点で左折 
日比谷通り 芝増上寺 御成門 日比谷通り 芝増上寺 御成門 

御成門

 徳川家の菩提寺である増上寺に将軍が参拝する際、この門を使ったため「御成門」と呼ばれる。元は御成門交差点の場所にあったが区画整理などで移転となり、現在は東京プリンスホテルの駐車場脇にある。

東京プリンスホテルの駐車場沿いで、道路のの向かいにはみなと図書館がある。
木立に囲まれている上に、古びた門で、「御成」門というイメージからくる華やかさはない。そのため、この道路は何回も通っているが、初めて見た。
日比谷通り 芝増上寺 御成門 日比谷通り 芝増上寺 御成門 



 
万歩計 トップ 首都圏の鉄道 目次 三田線H2409 目次 目黒〜三田〜大手町 目次  三田駅〜芝増上寺〜内幸町駅 目次  三田駅〜芝公園駅〜御成門駅  御成門駅〜内幸町駅〜日比谷駅  ページ トップ