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万歩計
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(From H14-10-28)

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掲示板(一言どうぞ)

新宿中央公園、熊野神社(十二社)

【関連サイト】   都営地下鉄 大江戸線(平成14年)
真夏の新宿副都心散策(H18−08−11)


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新宿中央公園 公園北歩道橋 新宿中央公園 公園北歩道橋 

中央通りが新宿中央公園で突き当りになり、公園通りに架かる公園北歩道橋を渡って公園に入る。左手に下ると公園のシンボルである新宿ナイアガラの滝に至る。
新宿中央公園 公園案内図 新宿中央公園 公園案内図 

中央下の赤印が現在地で、右上の紫のブロックが新宿熊野神社(十二社)である。
新宿中央公園 水の広場 新宿中央公園 水の広場 

新宿ナイアガラの滝の前にある広場で、フリーマーケットが開かれている。
新宿中央公園 新宿ナイアガラの滝 新宿中央公園 新宿ナイアガラの滝 

新宿中央公園のシンボルで、この滝の裏には新宿白糸の滝がある。
実際にナイアガラの滝を見た目で見ると、形、規模など全く似ていないが、ご愛嬌である。
新宿中央公園 新宿白糸の滝 新宿中央公園 新宿白糸の滝 

滝が流れる時間帯が決まっており、流れている時はそれなりに見事である。
新宿 熊野神社(十二社) 新宿 熊野神社(十二社) 

新宿中央公園の西端から、熊野神社(十二社)の拝殿脇に入ることが出来る。
新宿 熊野神社(十二社) 新宿 熊野神社(十二社) 

 熊野神社は、室町時代の応永年間(1394〜1428)に、中野長者鈴木九郎が、故郷である紀州熊野の十二所権現をうつし祠ったものと伝えられ、そのためにこのあたりは十二社と呼ばれるようになりました。
 また、周辺にはかつて池や滝があり、江戸時代中期より江戸西郊の景勝地として有名でした。
 ミニ博物館「十二社熊野神社の文化財」では、熊野神社に伝えられる江戸時代以来の文化財や、かつての十二社の風景などを紹介しています。ぜひ、ご覧下さい。
新宿 熊野神社(十二社) 弁天社 新宿 熊野神社(十二社) 弁天社 
新宿 熊野神社(十二社) 拝殿 新宿 熊野神社(十二社) 拝殿 

熊野神社(十二社)は新宿中央公園の西端から拝殿脇に入ることが出来る。
新宿 熊野神社(十二社) 新宿 熊野神社(十二社) 

手前から神楽殿、神輿蔵、鳥居である。
新宿 熊野神社(十二社) 新宿 熊野神社(十二社) 
新宿 熊野神社(十二社) 角筈村熊野十二所権現社(『江戸名所図会』より) 新宿 熊野神社(十二社) 角筈村熊野十二所権現社(『江戸名所図会』より) 

 十二社の熊野神社は、室町時代の応永年間(1394〜1428)中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったものと伝えられます〔−説に、この地域の開拓にあった渡辺與兵衛が、天文・永禄(1532〜69)の熊野の乱に際し、紀州よりこの地に流れ着き、熊野権現を祠ったともいいます〕。
 鈴木家は、紀州藤代で熊野三山の祠官をつとめる家柄でしたが、源義経に従ったため、奥州平泉より東国各地を敗走し、九郎の代に中野(現在の中野坂上から西新宿一帯)に住むようになりました。九郎は、この地域の開拓にあたるとともに、自身の産土神である熊野三山より若一王子宮を祠リました。その後鈴木家は、家運が上昇し、中野長者と呼ばれる資産家になったため、応永10年(1403)熊野三山の十二所権現すべてを祀ったといいます。
 この十二所が、昭和45年(l970)までこの地の町名であった十二社と読み変わったものとされますか、別に複数の社を1つに祠る相(双)殿形式で十二の社を祠った十二相(双)殿からきたという説もあります。江戸時代の文献にはこの他、十二處・十二荘・十二叢・十二層などの記述が見られます。
 神社は、江戸時代には熊野十二所権現社と呼ばれ、幕府による社殿の整備や修復も何回か行われました。また、享保年間(1716〜35)には八代将軍吉宗が鷹狩を機会に參拝するようになり、滝や池を擁した周辺の風致は江戸西郊の景勝地として賑わい、文人墨客も多数訪れました。明治維新後は、現在の櫛御気大神(須佐之男命の別名)を祭神とし、熊野神社と改称し現在にいたっています。
氏子町の範囲は、西新宿ならびに新宿駅周辺及び歌舞伎町を含む地域で、新宿の総鎮守となっていまず
新宿 熊野神社(十二社) 新宿 熊野神社(十二社) 

江戸時代以来、西郊の景勝地として賑わった十二社には大小2つの池と、いくつかの滝がありました。
新宿中央公園 新宿中央公園 

熊野神社(十二社)から新宿中央公園に戻り、太田道灌所縁の久遠の像を経て北通りに向かう。

今は4月なので大したことはないが、夏になると、この付近の芝生一帯は青テントが並び、パンツ一つのホームレスがあちこちで寝転んだり、洗濯物の満艦飾となり、見苦しい光景になる。
新宿中央公園 久遠の像 新宿中央公園 久遠の像 

この像を見てすぐ分る人は、東京に生まれ育ったある年齢以上の人だろう。

太田道灌が狩をした時に雨にあい、農家を訪れたところ、山吹の花と和歌一首が奉げられた。
「七重八重 花は咲けども 山吹の みのひとつだに なきぞ悲しき」
意味が分らず、帰城後家臣に尋ねたところ、「蓑ひとつだに」と知り、これを恥じた太田道灌は以後和歌を学び、名人と呼ばれるまでになった、との故事による。
ちなみに、この女性は西向天神社に墓があった紅皿である。
新宿中央公園 久遠の像 新宿中央公園 久遠の像 


 
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