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篠崎駅通り 篠崎駅入口交差点で左折、京葉道路へ  |
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京葉道路 高速京葉道路 篠崎インター 
一般道の京葉道路が、首都高7号小松川線が改称する高速京葉道路に合流する。 |
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高速京葉道路の側道を東進  |
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京葉道路の側道 突き当りで右折、篠崎街道へ 
江戸川に架かる江戸川大橋は、自動車専用道路の高速京葉道路となり、歩行者は通行できなくなる。10年前(平成15年)に初めて歩いた時には道が無くなってしまい、地元の人に聞いたら江戸川下流の行徳橋まで行って渡るしかない、と言われて愕然とした。
篠崎駅から本八幡駅まで、自動車だと市川インターを利用するので遠回りとなり、歩くのと同じく距離は5kmである。しかし、もし江戸川大橋が歩けたら距離は半分以下になるはずである。 |
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篠崎街道 篠崎ポニーランド サービスセンター 
江戸川の堤防沿いに南下する。 |
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篠崎街道 江戸川堤防を上り、篠崎ポニーランドへ  |
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江戸川河川敷(西側) 篠崎ポニーランド  |
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江戸川堤防(西側)を南下  |
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江戸川堤防(西側) 篠崎ポニーランド、高速専用江戸川大橋  |
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江戸川堤防(西側) 江戸川水門  |
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江戸川堤防(西側) 江戸川閘門 
江戸川は江戸川閘門手前で旧江戸川が分流し、閘門は旧江戸川にある。 |
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江戸川堤防(西側) 江戸川閘門前 健康の道  |
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江戸川堤防(西側) 江戸川閘門  |
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江戸川堤防(西側) 江戸川閘門の下流閘門 
閘門はスエズ運河などのように、水位差がある河に船を通すため、間の閘室に水を出し入れする装置である。 |
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江戸川水門横を歩き、江戸川本流の堤防(西側)に出る。 
昭和11年(1936年)6月〜昭和18年(1943年)3月の工期で造られた。洪水時の旧江戸川への分流などの役割を持つ |
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江戸川本流の堤防(西側)を南下 
手前が行徳街道(千葉県道6号 市川浦安線旧道)に架かる行徳橋で、その奥には東西線を歩いた時に渡った船橋行徳線(県道179号)の新行徳橋である。 |
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行徳街道 江戸川に架かる行徳橋  |
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行徳街道 行徳橋の下流に架かる新行徳橋  |
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行徳街道 行徳橋横の行徳可動堰  |
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行徳街道 突き当りを左折、行徳街道(江戸川堤防(東側))へ  |
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行徳街道(江戸川堤防(東側)) 工事案内板  |
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行徳街道(江戸川堤防(東側))を北上  |
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行徳街道(江戸川堤防(東側)) 道なりに右に曲がる  |
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行徳街道 高速京葉道路下を北上  |
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行徳街道 稲荷木(とうかぎ) 一本松 
高速京葉道路の高架手前にある。
むかし、行徳から市川に向うには、今日の行徳橋あたりから稲荷木の雙林寺前を通り、稲荷神社からこの地に出て、江戸川沿いに大和田・大洲・市川南を経て国道十四号線(時代によって上総道・佐倉道・千葉街道とも呼ばれた。)に出、市川に至ったものです。
伝えによると、慶長年間(一五九六〜一六一五)伊奈備前守忠次が徳川家康の命によって、上総道の改修にあたったさい、新たに八幡と行徳を結ぶ八幡新道をつくって、その分岐点に松を植えたのが、この一本松の由来ということです。
この松も京葉道路ができると、排気ガスの影響などによって枯死を早め、昭和四十八年に伐採されました。(伐採時の樹令約百八十年) |
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行徳街道 TDK テクニカルセンター  |
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行徳街道 市川市 文化会館  |
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行徳街道 市川市 文化会館  |
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行徳街道 JR総武線の高架をくぐり抜ける  |
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都営 新宿線 本八幡駅  |