万歩計 トップ 散策点描 目次  コミュニティバス 目次 中央区 江戸バス(南循環)H211228 目次 晴海三丁目〜勝鬨橋〜豊海町 目次  月島〜朝潮橋〜晴海三丁目 豊海町〜勝どき駅前〜勝鬨橋  ページ ラスト 


万歩計



(Since H14-10-28)

目次









掲示板(一言どうぞ)


晴海三丁目〜勝鬨橋〜豊海町

【関連サイト】   散策点描 特選シリーズ コミュニティバス


 直前のページに戻ります

写真の一覧表へ 



晴海通り 朝潮運河に架かる黎明橋 晴海通り 朝潮運河に架かる黎明橋 
晴海通り 黎明橋から見た晴海トリトン 晴海通り 黎明橋から見た晴海トリトン 

晴海トリトンは、晴海3丁目交差点から、黎明橋に至る晴海通り沿いにある。
平成13年にオープンし、ギリシャ神話の海神トリトンに因んで名付けられた。オフィスビルと、ショッピングビルとで構成されている。
晴海通り 勝どき駅前交差点で左折、清澄通りへ 晴海通り 勝どき駅前交差点で左折、清澄通りへ 
中央区 江戸バス(南循環) #18 勝どき駅前 中央区 江戸バス(南循環) #18 勝どき駅前 
清澄通り 東陽院 十返舎一九墓 清澄通り 東陽院 十返舎一九墓 

 十返合一九は本姓を重田といい、明和二年(一七六五)駿河(静岡市)に生まれた。その後、江戸に出て、日本橋の出版業者、蔦屋重三郎付の作家となり、多くの黄表紙・洒落本を書いた。なかでも、「東海道中膝栗毛」はよく知られ、主人公の栃面屋弥次郎兵衛と喜多八が日本橋から東海道を旅し、伊勢参宮の後、京都へたどりつくという旅行記の形式をとる物語であり、続編に続編を重ね、一九の代表作となった。
 天保二年(一八三二)に没し、浅草永住町の東陽院に葬られた。東陽院は関東大震災後、当地に移転し、墓も移された。
 墓石には次の辞世が刻んである。
   此世をば どりやお暇に 線香の
   煙と共に はい左様なら
 墓は、区の歴史や文化に関わりの深いものとして、中央区民文化財に登録されている。
清澄通り 東陽院 十返舎一九墓 清澄通り 東陽院 十返舎一九墓 

東陽院は、清澄通りの新島橋手前にある。
清澄通り 新月島川に架かる新島橋を渡る 清澄通り 新月島川に架かる新島橋を渡る 
清澄通り 新島橋から見えるザ・東京タワーズ 清澄通り 新島橋から見えるザ・東京タワーズ 
清澄通り ザ・東京タワーズ 清澄通り ザ・東京タワーズ 

茶色の外壁に斜めに走る黒線が特徴のビルで、周囲に高いビルが無いことも有り、遠くからもよく見える。
中央区 江戸バス(南循環) #19 新島橋 中央区 江戸バス(南循環) #19 新島橋 

ザ・東京タワーズの前にバス停がある。
清澄通り 月島警察署 清澄通り 月島警察署 
清澄通り #20 豊海運動公園入口バス停 清澄通り #20 豊海運動公園入口バス停 

バス停には江戸バスの赤いバスが停っている。
中央区 江戸バス(南循環) #20 豊海運動公園入口 中央区 江戸バス(南循環) #20 豊海運動公園入口 

清澄通りの向い側に月島埠頭がある。
清澄通り 豊海町交差点手前で左折 清澄通り 豊海町交差点手前で左折 

江戸バスが清澄通りをUターンするため、豊海町交差点手前で左折し、豊海町交差点から出る。
東京水産会館 東京水産会館 
中央区 江戸バス(南循環) #21 豊海町 中央区 江戸バス(南循環) #21 豊海町 

東京水産会館前にバス停がある。



 
万歩計 トップ 散策点描 目次  コミュニティバス 目次 中央区 江戸バス(南循環)H211228 目次 晴海三丁目〜勝鬨橋〜豊海町 目次  月島〜朝潮橋〜晴海三丁目 豊海町〜勝どき駅前〜勝鬨橋  ページ トップ