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万歩計



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都営新宿線 森下駅 都営新宿線 森下駅 

 深川シャトルは清澄通りの森下駅前から台場の日本科学未来館まで、江東区が急行06系統として都バスに委託して土曜、休日のみ運行されている。同様に錦糸町から日本科学未来館まで急行05系統として城東シャトルも運行されている。
 深川シャトルは、森下駅から、清澄庭園、門前仲町、越中島通り、豊洲駅、有明テニスの森、国際展示場、青海パレットタウン、日本科学未来館に至る往復コースを走る。
バス停数 7、営業距離 10.2km

【撮影記録】
平成22年 7月 19日 快晴
10:05〜13:20 16,100歩(概算 11.3km)

快晴で梅雨明けして蒸し暑さも和らいだ海の日に土、休日のみ運行の深川シャトルを歩いた。しかし、再開発中の豊洲界隈以降は木立もないのでコンクリートのはね返しがきつく、30度を超す暑さ以上に体力を消耗した。対策をしていたものの、熱中症になりかねなかった。
新大橋通り 森下駅前交差点で右折、清澄通りへ 新大橋通り 森下駅前交差点で右折、清澄通りへ 

森下駅は新大橋通り沿いに出口があるため、少し東進して交差点に出る。
新大橋通りの地下を新宿線が、南北の清澄通りには大江戸線が走る。
新大橋通り 森下駅前交差点で右折、清澄通りへ 新大橋通り 森下駅前交差点で右折、清澄通りへ 
深川シャトル 始発(#1) 森下駅前 バス停 深川シャトル 始発(#1) 森下駅前 バス停 

清澄通りを少し南下した所にある。

深川シャトルは都バスに運行委託しているので、バス停は都バスと同じである。土曜と休日のみ運行の上、キーポイントのバス停しか停らないので、行き先表示で確認が必要である。
清澄通り 高橋交差点 高橋のらくろード(高橋夜店通り) 清澄通り 高橋交差点 高橋のらくろード(高橋夜店通り) 

左折すると高橋のらくろード(高橋夜店通り)で、「のらくろ」に因むのらくろ館(森下文化会館)がある。
のらくろは戦前の人気漫画で、サザエさんの長谷川町子の師でもあった田河水泡の家族から寄贈された遺品などを展示している。
清澄通り 高橋交差点 高橋のらくろード(高橋夜店通り) 清澄通り 高橋交差点 高橋のらくろード(高橋夜店通り) 

商店街には「のらくろ」の旗が飾られている。
清澄通り 高橋交差点 界隈案内図 清澄通り 高橋交差点 界隈案内図 

左に小名木川があり、右が森下駅がある北である。
清澄通り 小名木川に架かる高橋 清澄通り 小名木川に架かる高橋 

小名木川沿いに右の隅田川河口沿いに歩くと松尾芭蕉関連の遺構がある。
清澄通り 清澄三丁目交差点で清洲橋通りを渡る 清澄通り 清澄三丁目交差点で清洲橋通りを渡る 

清澄通りを都営大江戸線が走り、清洲橋通り東京メトロを半蔵門線が走る。交差点は清澄白河駅である。
清澄通り 清澄庭園 清澄通り 清澄庭園 

清澄庭園は江戸の豪商紀伊国屋文左衛門の別邸と言われ、関宿の城主久世大和守の下屋敷を経て明治になり、三菱財閥の岩崎彌太郎が深川親睦園として買い取り、その後隅田川から水を引いて大泉水を作ったりした。関東大震災で避難場所としての価値に注目され、岩崎家から東半分を東京市に寄付された。戦後に西半分も清澄公園となった。
清澄通り 深川江戸資料館通り 清澄通り 深川江戸資料館通り 

清澄庭園の向い側にある。左折してすぐに寛政の改革を行った白河藩主松平定信の墓所があり、江戸六地蔵が置かれている霊巌寺がある。
深川シャトル #2 清澄庭園前 バス停 深川シャトル #2 清澄庭園前 バス停 
深川シャトル #2 清澄庭園前 バス停 深川シャトル #2 清澄庭園前 バス停 

土、休日のみの運行である注意書きがなされており、1時間に2本走る。江東区が委託する都バスなので、料金は都バスと同じ200円である。
清澄通り 滝沢馬琴誕生の地 清澄通り 滝沢馬琴誕生の地 

仙台堀川に架かる海辺橋の手前の深川老人福祉センターの前にある。
清澄通り 滝沢馬琴誕生の地 清澄通り 滝沢馬琴誕生の地 

江戸時代後期の小説家。明和四(一七六七)年六月九日、旗本松平信成の用人を勤める下級武士の五男として、この地にあった松平家の邸内で生まれ、嘉永元(一八四八)年十一月六日、八十二歳で病没しました。名は興邦、曲亭馬琴・著作堂主人などと号しました。
清澄通り 滝沢馬琴誕生の地 清澄通り 滝沢馬琴誕生の地 

滝沢馬琴の代表作である南総里見八犬伝、全106冊を表現したモニュメントである。
清澄通り 仙台堀川に架かる海辺橋 清澄通り 仙台堀川に架かる海辺橋 

橋を渡った反対側に採荼庵(さいとあん)跡があり、松尾芭蕉の像がある。松尾芭蕉は、採荼庵(さいとあん)を出て奥の細道の旅行に出た。
清澄通り 富岡八幡宮 例大祭案内 清澄通り 富岡八幡宮 例大祭案内 

子供神輿の番付の体裁を採っているが、今年(平成22年)は本祭りではなく、子供神輿の連合渡御が行われる。
清澄通り 深川一丁目陸橋 清澄通り 深川一丁目陸橋 

陸橋の反対側には映画監督の小津安二郎誕生の地の案内がある。
清澄通り 心行寺 清澄通り 心行寺 

 心行寺は雙修山養源院と号し、開山は光蓮社団誉一露屋道で、養源院は開基です。元和2年(1616)に、八丁堀に創建され、寛永10年(1633)現在地に移りました。
 養源院は岩国藩主吉川広嘉(1621〜1680)の妻で、承応3年(1654)に没しました。広嘉は岩国藩主として二代目で、延宝元年(1673)には、錦帯橋を架橋しています。
 深川七福神(福禄寿)の一つとして親しまれています。
清澄通り 心行寺 清澄通り 心行寺 
清澄通り 深川一丁目交差点で葛西橋通りを渡る 清澄通り 深川一丁目交差点で葛西橋通りを渡る 
清澄通り 深川不動に立ち寄るため、門前仲町交差点で左折、永代通りへ 清澄通り 深川不動に立ち寄るため、門前仲町交差点で左折、永代通りへ 

深川シャトルは交差点を直進するが、深川不動に立ち寄るため左折する。



 
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