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万歩計



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二天門本店前〜待乳山聖天〜今戸神社前

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台東区 北めぐりん(H21−08−15)
東京の名所 浅草界隈


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馬道通り 二天門前交差点 馬道通り 二天門前交差点 
改築中の浅草寺二天門 改築中の浅草寺二天門 

二天門前交差点の左手に見える。
馬道通り 馬道交差点で右折、言問通りへ 馬道通り 馬道交差点で右折、言問通りへ 

北めぐりんはこの交差点の左(西)から入り、右折して南下、吾妻橋に向かう。
言問通り 旧・浅草猿若町 言問通り 旧・浅草猿若町 

 江戸時代に歌舞伎は大衆に支持される一大娯楽となったが、幕府は風紀の乱れを恐れ、様々な規制を設けて、統制を強めてきた。老中・水野忠邦の「天保の改革」の際に芝居小屋廃止を打ち出すことになったが、遠山左衛門尉影元(遠山の金さん)の「庶民の娯楽を奪うことは、却って人心の安定に役立たない」との献策を受け、日本橋周辺にあった幕府公認の芝居小屋を江戸城郊外に当たる当地へ強制移転させることにした。

 一八四二年(天保一三年)当地に新しく芝居町が造られ、江戸歌舞伎の始祖である猿若勘三郎(のちの初代中村勘三郎)の名から「猿若町」と命名された。ここには芝居小屋、芝居茶屋、役者や芝居関係者の住まいなどが造られ、大勢の江戸の人々が「猿若三座」の歌舞伎や人形浄瑠璃を見物するため繰り出したと言われている。
言問通り 旧・浅草猿若町 言問通り 旧・浅草猿若町 
言問通り 言問橋西交差点 斜め左上の橋場通りへ 言問通り 言問橋西交差点 斜め左上の橋場通りへ 

右からは江戸通りがこの交差点に入り、直角に右折し、写真の奥にある言問橋に向かう。言問通りはこの交差点が始点である。
江戸通り 言問橋西交差点 斜め右上の橋場通りへ 江戸通り 言問橋西交差点 斜め右上の橋場通りへ 
橋場通り 北めぐりん #3 隅田公園 橋場通り 北めぐりん #3 隅田公園 

橋場通りの右手は隅田公園で、正面奥の白いビルは、リバーサイド スポーツセンターである。
橋場通り 待乳山聖天 橋場通り 待乳山聖天 

待乳山聖天は、隅田公園 リバーサイド スポーツセンターの斜め前、山谷堀公園の手前にある。
橋場通り 山谷堀公園 橋場通り 山谷堀公園 

 山谷堀がいつ頃掘られたかはっきりしないが江戸の吉原との関係からみてもおそらく江戸初期にできたものであろう。
 都下水道局ポンプ場のところから隅田川へと注ぐ約七〇〇メートルにおよぶ山谷堀は、北区の音無川を源とし、飛鳥山の北側、王子権現の下を経て通じていた。
 当時、この堀は吉原への通路の一つであった。山谷堀を通るので吉原通いを別名、山谷通いともいった。猪牙船などを仕立ててこのコースを使う遊興はぜいたくとされ、まさにおだいじん遊びだった。
 堀の上流の方から日本堤橋、地方橋、地方新橋、紙洗橋、山谷堀橋、正法寺橋、吉野橋、聖天橋、今戸橋と九つの橋がかけられていたが、埋立に伴いすべて取り除かれており、橋台のみが昔の面影を残している。
 現在は、水と緑の懇いの公園として整備されている。
橋場通り 左斜めの道に進む 橋場通り 左斜めの道に進む 
北めぐりん #4 リバーサイド スポーツセンター前 北めぐりん #4 リバーサイド スポーツセンター前 
北めぐりん #4 リバーサイド スポーツセンター前 北めぐりん #4 リバーサイド スポーツセンター前 

バス停脇には「めぐりん ちょこっと こしかけ」が設けられており、付近の地図が描かれている。
今戸神社 今戸神社 

 今戸神社は元今戸八幡宮と称し、後冷泉天皇の時代康平六年(一〇六三)源頼義、義家父子は勅命に依り奥州の夷賊安太夫安倍貞任、宗任を討伐の折今戸の地に到り、京都の石清水ハ幡を鎌倉鶴ケ岡と浅草今津村(現今戸)に勧請しました。
 応神天皇の母君神功皇后は新羅を始め三韓征伐の際、時恰も天皇を宿されその帰路天皇を九州筑紫で誕生されました。
従って応神天皇を別名胎中天皇・聖母天皇とも称し、安産子育ての神と崇敬されております。
 伊弉諾尊・伊弉冉尊御夫婦の神は加賀の白山比盗_社の御祭神にして、嘉吉元年(一四四一)こ千葉介胤直が自分の城内に勧請しました。諾冉二神は子孫の繁栄を与えられると共に縁結びの神と崇敬されております。     昭和十二年今戸八幡と合祀され今戸神社と改称されました。
 今戸の地名は古くは武州豊島郡今津村と称し、その後今戸(別字今都)となりました。
今戸神社境内 今戸神社境内 

社殿手前にニンニンパンダバスのバス停が設けられている。道路沿いにはないので注意が必要である。

境内には沖田総司終焉之地碑や、招き猫の碑などがある。
ニンニンパンダバス #6 今戸神社前 ニンニンパンダバス #6 今戸神社前 
今戸神社前バス停前に停まるニンニンパンダバス 今戸神社前バス停前に停まるニンニンパンダバス 

時刻表よりもかなり早めに着いており、ここで時間調整を行っている。そう考えると境内にバス停がある理由が分かる。
バスをパンダとみるか、犬と見るかは人に寄る。



 
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