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せんわ通り 吉原弁財天前で左折 |
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右折して鷲神社の裏手へ
同じような道がある二股路で、左折すると国際通りの鷲神社の南に出る。但し、国際通りからの一方通行路なのでバスは入れない。 |
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鷲神社の裏手を北上 |
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長国寺の裏手を北上 |
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突き当たり五差路を左折
直進すると飛不動がある。 |
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飛不動尊
正寶院は、享禄三年(一五三〇)の創建と言われる修験寺院で、はじめ聖護院末・園城寺末から現在天台宗系の単立寺院となっている。
当寺の本尊は木像不動明王坐像で、「飛不動」の通称で知られている。名の由来は、昔、当寺の住職が大和国(奈良県)大峰山に本像を背負って修行に行ったところ、一夜にして当地へ飛び帰り、人々にご利益を授けたことによると伝えられている。
近年は航空安全の守護神として有名になり、空の安全を祈願する参詣客が多い。 |
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飛不動尊 |
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飛不動尊 |
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第1回「あしたのジョー」のふるさと祭り
飛不動から西徳寺交差点に向かう途中で見つけた。かつてドヤ街として有名だった山谷で、いろは商店街主催で11月末に開催された。
あしたのジョーが練習した丹下段平のジムは、明治通りと吉野通りが交差する泪橋となっている。 |
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突き当り 西徳寺前交差点で左折、国際通りへ |
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国際通り 浅草「酉の市」発祥の寺 長国寺
当山は江戸時代、寛永7年(1630)に日乾上人によって開山されました。山号を鷲在山、寺号を長国寺と称し、法華宗(本門流)の寺です。宗祖を日蓮大聖人として開運招福の守り本尊である鷲妙見大菩薩が安置されています。
開山当時より、鷲妙見大菩薩の御開帳が11月酉の日に行われ、多くの参詣者を集めて門前に市が立つようになりました。それが浅草「酉の市」の発祥です。
長国寺の門前市であった浅草「酉の市」は、吉原などの隆盛とともに賑わいを増し、市で売られる縁起熊手等も持て囃され、江戸庶民にとって春を迎えるための欠かせない行事となりました。鷲妙見大菩薩は七曜の冠を戴き宝剣をかざして鷲の背に立つお姿から、「鷲大明神」「おとりさま」と呼び親しまれました。また「絵本江戸土産」では「破軍星」とも言われ、開運招福・商売繁昌・武運長久の御利益を授ける尊仏として厚い信仰を集めてきました。1年の無事に感謝し、来る年の幸を願う「酉の市」は江戸時代から続く伝統文化を今も変わらずに受け継いでいます。
当山、長国寺では明治初年の神仏分離令で「酉の寺」長国寺の一部が新たに鷲神社として分割されましたが、現在も 11月の酉の日には多くの善男善女を集めて、鷲妙見大菩薩の御開帳の法要を行い「酉の市」を開いております。 |
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国際通り 浅草「酉の市」発祥の寺 長国寺 |
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国際通り 鷲(おおとり)神社 |
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ニンニンパンダバス #7 鷲神社 |
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国際通り 鷲(おおとり)神社
鷲神社は、江戸時代「鷲大明神社」と称されていたが、明治のはじめ「鷲神社」と改称された。祭神は天之日鷲命・日本武尊の二神。草創は不明である。社伝によれば、天之日鷲命の祠に、日本武尊が東国征伐の帰途、熊手をかけて戦勝を祝った。この日が十一月酉の日で、以後、この日をお祭と定めたという。
酉の市は、江戸中期より冬の到来を告げる風物詩として発展し、足立区花畑を「大鳥」、浅草を「新鳥」と称した。浅草はとくに浅草観音・新吉原・猿若町芝居小屋を控え、賑いをみせた。 |
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鷲(おおとり)神社 |
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鷲(おおとり)神社 駐車場
広い駐車場も酉の市では熊手を売る店で一杯となる。後方には長国寺がある。 |
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鷲(おおとり)神社 |
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鷲(おおとり)神社 正岡子規の句碑
雑鬧や熊手押あふ酉の市
「雑鬧」とは雑踏のことである。 |
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鷲(おおとり)神社 樋口一葉文学碑
木村荘八書の「たけくらべ」の一節である。 |
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鷲(おおとり)神社 樋口一葉 玉梓乃碑 |
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鷲(おおとり)神社 樋口一葉 玉梓乃碑 |