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吉野通り 思川と涙橋
思川は南千住三丁目の東南部にあった堀。農業用水として使われていた音無川(石神井川用水)の支流で、明治通り北側に沿って流れ、橋場の渡しの北で隅田川に合流していた。源頼朝がこの川で馬を洗ったことから、古くは駒洗川と呼ばれていたという。文明十八年(一四八六)京都聖護院門跡の道興准后が思川を訪れ、「うき旅の道になかるゝ思ひ川涙の袖や水のみなかみ」(『廻國雑記』)と詠んだ。
思川と小塚原縄手(日光道中)が交差する所に架かっていた橋が涙橋。泪橋とも書く。橋名の由来は小塚原の御仕置場に赴く囚人たちが現世を去るに際して涙を流しがら渡ったからとも、囚人の知人が今生の別れを惜しんで袖を濡らしたからだとも伝える。 |
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吉野通り 泪橋交差点で明治通りを渡る
吉野通りの先に東京スカイツリーが見える。東京スカイツリーの現在の高さは497m(完成時 634m)である。 |
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吉野通り 泪橋交差点 |
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吉野通り 東浅草二丁目交差点
台東区のコミュニティバスである北めぐりんは、左(アサヒ商店街)から交差点を渡り、右の日の出会商店街に向かう。 |
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吉野通り 鷲神社 酉の市ポスター
1週間後の7日に鷲神社の一の酉が行われる。 |
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吉野通り 靴ひもの株式会社マモル脇で右折
東浅草二丁目交差点の次の無名の交差点で、次の交差点は東浅草交番前交差点である。この無名の交差点を右折すると正面に江戸六地蔵の東禅寺がある。 |
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吉野通り 江戸六地蔵 東禅寺
2年前の鷲神社の二の酉の時に寄ったが、場所が分からなかった。地元の人に聞いたが、東禅寺では分からず、大きな地蔵ではすぐ分かった。 |
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吉野通り 江戸六地蔵 東禅寺
江戸六地蔵は、深川の地蔵坊正元が病気平癒に感謝して建立を発願し、多くの人々の浄財を集め、江戸市中六ヶ所に勧請したものである。全身にある陰刻から神田鍋町の鋳物師太田駿河守正義によって鋳造されたことがわかる。本像の高さは二、七一メートル、品川寺に次いで第二番の宝永七年(一七一〇)に建立された。他の六地蔵は鍍金が施されているのに対し、記録では本像は像の表面を布目茶にやすりをかけ、弁柄色の漆を塗った上に金箔を置いたあとが残っていたとある。永年の風雨により、損傷が著しかったため、平成十一年に修復工事を行った。胎内仏として小形の銅造六地蔵菩薩坐像尊が現存する。
なお、江戸六地蔵は次のとおりである。
品川寺 品川区南品川三丁目
太宗寺 新宿区新宿二丁目
東禅寺 台東区東浅草二丁目
霊巌寺 江東区白河一丁目
永代寺 江東区(消滅)・・・深川不動尊に遺構あり |
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吉野通り 東浅草交番前交差点 |
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吉野通り 東浅草一丁目交差点
浅草地区を周回する無料のニンニンパンダバスは、今戸神社を経て左からこの交差点を渡る。 |
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吉野通り 山谷堀公園 吉野橋 |
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吉野通り 山谷堀公園 吉野橋界隈案内図 |
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吉野通り 言問橋西交差点で左折、言問橋へ |
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吉野通り 言問橋西交差点で左折、言問橋へ
言問橋西交差点で東京スカイツリーがくっきりと見え出す。 |