吉原大門〜江戸六地蔵 東禅寺〜浅草 吾妻橋
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明治通り 三ノ輪二丁目交差点で直進、土手通りへ 明治通りは左に大きく曲がって行く。 |
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土手通りを南下 | |
土手通り 一葉記念館への案内 国際通りからの方が近い。 |
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土手通り 一葉記念館への案内 中央下の赤印が現在地で、一葉記念館はほぼ中央右の緑のブロックである。 |
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土手通り 吉原大門交差点で左折、日の出会商店街へ 右角のガソリンスタンド前に見返り柳がある。 |
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土手通り 吉原大門交差点 見返り柳 旧吉原遊廓の名所のひとつで、京都の島原遊廓の門口の柳を模したという。遊び帰りの客が後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、この柳のあたりで遊廓を振り返ったということから、「見返り柳」の名があり、 きぬぎぬのうしろ髪ひく柳かな 見返れば意見か柳顔をうち など、多くの川柳の題材となっている。 かつては山谷堀脇の土手にあったが、道路や区画の整理に伴い現在地に移され、また、震災・戦災による焼失などによって、数代にわたり植え替えられている。 |
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土手通り 吉原大門交差点 見返り柳 | |
土手通り 吉原大門交差点 見返り柳 | |
日の出会商店街 北めぐりん迂回運行案内 台東区のコミュニティバスである北めぐりんは、鷲神社の酉の市による交通規制で迂回運行がされている。 |
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日の出会商店街 東浅草二丁目交差点で右折、吉野通りへ | |
吉野通りを南下 | |
吉野通り 江戸六地蔵 東禅寺 江戸六地蔵(永代寺は廃棄され、残っているのは五地蔵)で、撮られていなかった最後の地蔵である。地図を確認しても場所が分かりにくく、吉野通りから入って右往左往した。地元の人も「東禅寺」出は分からず、大きな地蔵像がある所、で分かったほどである。 |
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吉野通り 江戸六地蔵 東禅寺 | |
吉野通り 江戸六地蔵 東禅寺 江戸六地蔵は、深川の地蔵坊正元が病気平癒に感謝して建立を発願し、多くの人々の浄財を集め、江戸市中六ヶ所に勧請したものである。全身にある陰刻から神田鍋町の鋳物師太田駿河守正義によって鋳造されたことがわかる。本像の高さは二、七一メートル、品川寺に次いで第二番の宝永七年(一七一〇)に建立された。他の六地蔵は鍍金が施されているのに対し、記録では本像は像の表面を布目茶にやすりをかけ、弁柄色の漆を塗った上に金箔を置いたあとが残っていたとある。永年の風雨により、損傷が著しかったため、平成十一年に修復工事を行った。胎内仏として小形の銅造六地蔵菩薩坐像尊が現存する。 なお、江戸六地蔵は次のとおりである。 品川寺 品川区南品川三丁目 太宗寺 新宿区新宿二丁目 東禅寺 台東区東浅草二丁目 霊巌寺 江東区白河一丁目 永代寺 江東区(消滅)・・・深川不動尊に遺構あり |
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吉野通り 東禅寺からの出口 色々と迷ったが、東禅寺の入口からまっすぐ吉野通りに出ると右手に靴ひもの株式会社マモルがある。吉野通りに出た東浅草二丁目交差点と、次の東浅草交番前交差点のほぼ中間にある。 |
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吉野通り 東浅草交番前交差点 | |
吉野通り 山谷堀公園 橋の名前は吉野橋である。 |
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吉野通り 山谷堀公園 山谷堀が何時掘られたかは分からないが、遊郭吉原との関係から江戸時代始めと思われる。当時この堀は吉原への通路の一つで、別名山谷通いとも言った。 |
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吉野通り 山谷堀公園 | |
吉野通り 言問橋西交差点で江戸通りへ 言問橋西交差点は五差路で、北からこの交差点を終点とする吉野通りが、北東から都道言問大谷田線が入り、この交差点から先は江戸通りとなる。江戸通りは南から来てこの交差点で右折、言問橋を渡る。言問橋から来た江戸通りは言問通りとなって西進する。 |
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江戸通り 東武伊勢崎線 浅草駅 | |
江戸通り 浅草松屋 | |
江戸通り 吾妻橋交差点 | |
江戸通り 隅田川に架かる吾妻橋 | |
都営浅草線 浅草駅 |