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万歩計



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掲示板(一言どうぞ)


江戸・東京の事件、災害、刑場巡りH2209
第1部 小塚原〜両国〜伝馬町221102

【関連サイト】  

東京メトロ 日比谷線H1912(三ノ輪 投げ込み寺(浄閑寺))

    つくばエクスプレス(三ノ輪 投げ込み寺(浄閑寺)〜小塚原回向院・処刑場跡〜南千住駅)
    歴史点描 小塚原回向院、小塚原刑場遺跡
    有名神社 浅草 鷲神社(平成20年二の酉)
浅草 ニンニンパンダバス(東京スカイツリー〜言問橋〜二天門本店)
    歴史点描 関東大震災、東京大空襲
   

歴史点描 赤穂義士(吉良上野介 点描)

    歴史点描 本所 吉良邸 義士祭(H20−12−13)
    有名仏閣 両国 回向院
    歴史点描 伝馬町牢屋敷遺跡

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 三ノ輪 浄閑寺〜小塚原 延命寺〜小塚原 回向院

 江戸、東京の事件、災害、刑場巡りを3部作で撮ることとした。第1部として江戸、東京の事件、災害、刑場のメインと言える刑場(小塚原、伝馬町牢屋敷)、災害(関東大震災、東京大空襲)、事件(投込寺(浄閑寺)、本所吉良屋敷)、回向院(両国、小塚原)をテーマとし、三ノ輪駅点から南千住に出て吉野通りを南下、言問通りに入り東京スカイツリーを見た。その後、三ツ目通り、蔵前橋通りを経て、清澄通りで旧陸軍被服廠(横網公園)、本所吉良屋敷、回向院と歩き、江戸通りから十思公園(伝馬町牢屋敷跡)に着いた。

 三ノ輪駅から大関横丁で右折、日光街道へ入って次の小路を右折すると、すぐ左手に投込寺(浄閑寺)の白塀が見える。安政2年の大地震の際、たくさんの新吉原の遊女が、投げ込み同然に葬られたことから、「投込寺」と呼ばれる。花又花酔の川柳に、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と詠まれ、新吉原総霊塔が建立された。
 遊女の暗く悲しい生涯に思いをはせて、作家永井荷風はしばしば当寺を訪れた縁で文学碑が建てられた。ただ、本堂工事のアルミパイプが邪魔で写真が撮りにくい。正面に東京スカイツリーを見つつ、浄閑寺の白塀沿いに東進、南千住二丁目交差点で左折、吉野通りへ進み、南千住駅前歩道橋に至る。

 南千住駅前歩道橋を渡り、左手前の階段を下りると小塚原処刑場跡(延命寺)である。小塚原回向院は両国の回向院が手狭になったために建てられたもので、常磐線建設により南北に分けられ、刑場跡は線路脇に首切地蔵がある延命寺となっている。延命寺は、境内、墓地改修工事で雑然とし、首切り地蔵がかすかに見える。首切地蔵は、刑死者の菩提をとむらうため寛保元年に造立された。
 回向院入口の壁には、明和8年の蘭学者杉田玄白、中川淳庵、前野良沢らが、刑死者の解剖に立ち合ったことによる観臓記念碑がある。墓地は整備されて右に史跡参拝所が設けられ、入口から2.26事件の磯部浅一元大尉夫妻、相馬大作供養碑、最後の処刑者の高橋お伝、片岡直三郎(直侍)、鼠小僧次郎吉の墓がある。奥には安政の大獄により刑死した橋本左内、吉田松陰、頼三樹三郎ら多くの志士たちが葬られている。

 吉野通り〜東京スカイツリー〜本所吾妻橋

 現在の高さは497mの東京スカイツリーを見つつ、吉野通りを南下、泪橋交差点で明治通りを渡る。北めぐりんが横断する東浅草二丁目交差点の次の無名の交差点で、靴ひもの株式会社マモル脇で右折すると正面に江戸六地蔵の東禅寺がある。次の東浅草交番前交差点は、浅草地区を周回する無料のニンニンパンダバスが横断し、山谷堀公園の吉野橋を経て、言問橋西交差点で左折、言問橋へ向かう。

 現在の高さは497mの東京スカイツリーを正面に見つつ言問橋を渡り、言問通りを牛嶋神社沿いに東進する。言問橋東交差点、向島一丁目交差点、東武伊勢崎線 業平橋駅と過ぎて、東京スカイツリー撮影スポットとして名高い北十間川に架かる東武橋に至る。業平一丁目交差点で左折、浅草通りへ出て、業平橋、大横川親水公園と経て、本所吾妻橋交差点で左折、三ツ目通りへ進む。

 旧陸軍被服廠跡〜両国 回向院〜伝馬町牢屋敷跡

 三ツ目通りを南下、本所三丁目交差点で春日通りを渡り、石原三丁目交差点で右折、蔵前橋通りへ進み、石原一丁目交差点で左折、清澄通りへ入る。旧陸軍被服廠(横網町公園)は、関東大震災で約4万人がこの地で焼け死んだため、震災慰霊堂が作られ、合わせてその後の復興を記念する復興記念館も建てられた。震災時の猛火と熱風で溶解した丸善ビルの鉄柱などが展示されている。清澄通りを南下し、日大一中、一高、江戸東京博物館と過ぎて、緑一丁目交差点で右折、京葉道路へ進む。

 京葉道路を西進、関東大震災殉職者慰霊碑がある本所警察署の先の両国三丁目交差点で左折、平成22年元禄市のポスターや両国小学校前の芥川龍之介文学碑(杜子春)を見て、両国玩具株式会社脇で右折、すぐ右に旧吉良邸の本所松阪町公園の白壁が見える。昭和9年に地元町会の有志が、世に伝えようと、旧邸跡の一画を購入し史蹟公園として、東京市に寄付した。
 突き当りを右折し、京葉道路へ出て旧国技館の両国シティコアの隣に両国回向院がある。天保4年からは、回向院境内の掛け小屋で相撲の定場所として、年に二度の興行が開かれたことに因み、力塚など相撲関係石碑群があり、左奥の史跡記念墓地には鼠小僧供養墓がある。日露戦争の満州軍総司令官大山巌元帥書の表忠碑がある両国橋東詰めに至る。

 京葉道路を西進、隅田川に架かる両国橋を、浅草橋交差点で清杉通りを渡り、浅草橋交差点で左折、江戸通りへ進む。馬喰横山の繊維問屋街、馬喰町一丁目交差点、馬喰町交差点と過ぎて小伝馬町交差点で右折、人形町通りへ入る。交差点のすぐ先に伝馬町牢屋敷跡の十思公園があり、その前に処刑者慰霊の大安楽寺がある。十思公園には、刑死した松陰先生終焉之地碑、吉田松陰の辞世の歌碑や、石町の時の鐘がある。







 
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