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三ノ輪 浄閑寺〜小塚原 延命寺〜小塚原 回向院

【関連サイト】  

東京メトロ 日比谷線H1912(三ノ輪 投げ込み寺(浄閑寺))

つくばエクスプレス(三ノ輪 投げ込み寺(浄閑寺)〜小塚原回向院・処刑場跡〜南千住駅)
歴史点描 小塚原回向院、小塚原刑場遺跡



三ノ輪駅〜投込寺 浄閑寺〜南千住駅

 江戸、東京の事件、災害、刑場巡りを3部作で撮ることとした。第1部として江戸、東京の事件、災害、刑場のメインと言える刑場(小塚原、伝馬町牢屋敷)、災害(関東大震災、東京大空襲)、事件(投込寺(浄閑寺)、本所吉良屋敷)、回向院(両国、小塚原)をテーマとし、三ノ輪駅点から南千住に出て吉野通りを南下、言問通りに入り東京スカイツリーを見た。その後、三ツ目通り、蔵前橋通りを経て、清澄通りで旧陸軍被服廠(横網公園)、本所吉良屋敷、回向院と歩き、江戸通りから十思公園(伝馬町牢屋敷跡)に着いた。

 三ノ輪駅から大関横丁で右折、日光街道へ入って次の小路を右折すると、すぐ左手に投込寺(浄閑寺)の白塀が見える。安政2年の大地震の際、たくさんの新吉原の遊女が、投げ込み同然に葬られたことから、「投込寺」と呼ばれる。花又花酔の川柳に、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と詠まれ、新吉原総霊塔が建立された。
 遊女の暗く悲しい生涯に思いをはせて、作家永井荷風はしばしば当寺を訪れた縁で文学碑が建てられた。ただ、本堂工事のアルミパイプが邪魔で写真が撮りにくい。正面に東京スカイツリーを見つつ、浄閑寺の白塀沿いに東進、南千住二丁目交差点で左折、吉野通りへ進み、南千住駅前歩道橋に至る。

小塚原 延命寺〜小塚原 回向院〜南千住駅

 南千住駅前歩道橋を渡り、左手前の階段を下りると小塚原処刑場跡(延命寺)である。小塚原回向院は両国の回向院が手狭になったために建てられたもので、常磐線建設により南北に分けられ、刑場跡は線路脇に首切地蔵がある延命寺となっている。延命寺は、境内、墓地改修工事で雑然とし、首切り地蔵がかすかに見える。首切地蔵は、刑死者の菩提をとむらうため寛保元年に造立された。
 回向院入口の壁には、明和8年の蘭学者杉田玄白、中川淳庵、前野良沢らが、刑死者の解剖に立ち合ったことによる観臓記念碑がある。墓地は整備されて右に史跡参拝所が設けられ、入口から2.26事件の磯部浅一元大尉夫妻、相馬大作供養碑、最後の処刑者の高橋お伝、片岡直三郎(直侍)、鼠小僧次郎吉の墓がある。奥には安政の大獄により刑死した橋本左内、吉田松陰、頼三樹三郎ら多くの志士たちが葬られている。






 
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