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(Since H14-10-28)
目次
掲示板(一言どうぞ) |
川崎駅前の仲見世通、銀柳街と経てLA CITTADELLA (ラチッタデッラ)前で左折、新川通りへ入り、小土呂橋交差点で右折、旧東海道川崎宿に進む。小川町通りを南西に歩き、川崎宿京入口の説明板を見た後、川崎警察署東側入口交差点で市電通りを渡る。川崎警察署の向かいの日進町町内会館「麦の郷」に掲示された「麦の郷」の由来や、すぐ先の俳人松尾芭蕉の句碑を過ぎて、道路の突き当たりにある京急本線八丁畷駅に至る。 京急本線八丁畷駅横の踏切を渡ると、八丁畷の由来と人骨説明板と慰霊塔がある。八丁畷の付近では、江戸時代から多くの人骨が発見され、戦後になっても、道路工事などでたびたび掘り出された。市場上町交差点、熊野神社と経て市場一里塚を見た後、鶴見川に架かる鶴見川橋を渡ると鶴見宿の遺構が続く。 總持寺は元亨元年(1321年)瑩山禅師により能登に開創されたが、明治31年の大火で多くが焼失、今後の発展を考え、明治44年に鶴見に移転した。参道(白字渓)の坂を上り、三松関(総門)、三門を通り右折すると、信者のための研修道場で、宿泊施設でもある三松閣に着く。金鶏門から境内に入ると、正面右に大祖堂(瑞応殿)、左に仏殿が見える。貴賓接待用の紫雲臺から西に進み、大祖堂(瑞応殿)、詳細不明だが珍しい銀色の仏像の横に仏殿があり、突き当りに總持寺が能登から移転されて、最初に法要が厳修された放光堂がある。向唐門、香積台 (総受付)、三松閣と経て、参道(白字渓)を下る。
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