東京〜常磐橋〜神田
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【関連サイト】   再撮影)JR 中央線快速H2202


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JR 東京駅 丸ノ内口 JR 東京駅 丸ノ内口

中央線快速 駅数 21、終点 高尾駅、営業距離53.1km

丸ノ内口は三菱地所の丸ビルの完成後、旧国鉄本社ビル跡の再開発などが続き、三越周辺の日本橋、八重洲口の地盤沈下を恐れた三井グループの再開発プロジェクト発足の契機となった。
中央線快速は、平日は中野以降は各駅停車になるが、総武・中央線と重なるため、土・日のパターンでウォーキングした。(高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪通過)
JR 東京駅 丸ノ内口 JR 東京駅 丸ノ内口
再開発が進む丸ノ内 旧国鉄本社ビル跡 再開発が進む丸ノ内 旧国鉄本社ビル跡 
再開発が進む丸ノ内 旧国鉄本社ビル跡 再開発が進む丸ノ内 旧国鉄本社ビル跡 
再開発が始まった八重洲口 再開発が始まった八重洲口 
再開発が始まった八重洲口 再開発が始まった八重洲口 
再開発が始まった八重洲口 再開発が始まった八重洲口 
外堀通りを北進、呉服橋交差点で永代通りを越える。 外堀通りを北進、呉服橋交差点で永代通りを越える。 
一石橋 迷子しらせ石標 一石橋 迷子しらせ石標 

迷子が出た場合、町内が責任を持って保護することになっていたため、安政4年(1857年)に地元の有力者が建立した。柱の正面に「満よい子の志るべ」、右側に「志らする方」、左側に「たづぬる方」と彫り、上部に窪みが有る。
この他に、浅草寺と湯島天神とにもあったが、戦災で浅草寺のものは破壊された。
一石橋 迷子しらせ石標 一石橋 迷子しらせ石標 
一石橋の親柱 一石橋の親柱 

一石橋は日本橋地区と神田地区を結ぶ重要な橋で、江戸時代初期からあった。大正11年(1922年)に鉄筋コンクリートになり、平成9年(1997年)に撤去された時に記念に残された。
一石橋の親柱 一石橋の親柱 
日本銀行 貨幣博物館 日本銀行 貨幣博物館 
日本銀行 貨幣博物館 日本銀行 貨幣博物館 
日本銀行 日本銀行 
日本橋川 常盤橋防災船着場 日本橋川 常盤橋防災船着場 

大地震など災害時に陸上交通の補完施設として、河川舟運が有効に機能するよう、整備されたものである。
日本橋川 常盤橋防災船着場 日本橋川 常盤橋防災船着場 

時代物の小説では、深川など下町での船の活用が良く出てくる。どぶ川と化した現在の川も、万が一の時には有効に使えるらしい。
日本橋川 常盤橋防災船着場 日本橋川 常盤橋防災船着場 
常磐橋 常磐橋 

徳川家光の頃までは大橋とか、浅草橋とか言われていたが、後に改称、常磐橋となった。関東大震災後、下流の日本銀行前に新たに架けられた。
常磐橋 常磐橋 
常磐橋門址の碑 常磐橋門址の碑 
常磐橋公園 常磐橋公園 
右折して江戸通りへ 右折して江戸通りへ 
左折して中央通りへ 左折して中央通りへ 
今川橋由来碑 今川橋由来碑 

今川橋は日本橋と中山道を結ぶ重要な橋で、天和年間(1681〜1683年)に架橋されたが、龍閑川の埋め立てにより昭和25年(1950年)に廃止された。
JR 神田駅 JR 神田駅 



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