万歩計 トップ 首都圏の鉄道 目次 東京〜新宿〜三鷹 目次  三鷹〜国分寺〜立川 目次  立川〜八王子〜高尾 目次      ページ ラスト 


万歩計



(Since H14-10-28)

目次









掲示板(一言どうぞ)


中央線快速H2202


 【目次】   東京〜新宿〜三鷹    三鷹〜国分寺〜立川   立川〜八王子〜高尾

【関連サイト】   JR 中央線快速H16
JR 総武線H2010
東京メトロ(旧営団) 丸ノ内線H2001
有名神社 湯島聖堂
東京の名園 小石川後楽園
    東京の名園 新宿御苑
    歴史点描 江戸風景)四谷怪談 於岩稲荷
    東京の名園 井の頭恩賜公園
    武蔵国 国分寺散策H16 
    歴史点描 明治維新点描)新撰組点描 
    東京の名山 高尾山散策(H21−06−27) 

目次に戻る

 東京〜新宿〜三鷹

 東京駅八重洲口から外堀通りを北上、金座跡に設けられた日銀本店旧館がある常盤橋交差点を経て、江戸通り、 中央通りへと歩く。中央通りを北上、JRのガード下の神田駅を過ぎ、万世橋交差点で左折、昌平橋交差点で外堀通りへ入って、湯島聖堂を参拝後、聖橋を渡り、御茶ノ水駅に着く。
 外堀通りへ入り、東京医科歯科大学や順天堂大学前を歩き、神田上水の記念碑を見つつ、坂を下ると水道橋に着く。外堀通りを更に西進、飯田橋駅を過ぎ、神楽坂下交差点を過ぎると外濠沿いに桜の古木の並木が続く。かつての東京マラソンで難所と言われた高力坂を上ると、四ツ谷駅は間近である。
 四谷見附交差点で右折、残雪が残る新宿通りを西進、四谷三丁目交差点で左折、四谷怪談の於岩稲荷を参拝後、新宿通りに戻る。新宿二丁目交差点で明治通り(バイパス)を、伊勢丹本店がある新宿三丁目交差点で明治通りを渡り新宿駅に至る。

 新宿駅西口から新宿大ガード西交差点で左折、青梅街道へ進む。新宿副都心の高層ビルが建ち並ぶ脇を歩き、大きな富士塚がある成子天神社を過ぎ、北新宿地区再開発計画も建設が始められている。淀橋は徳川家光が改めさせた。中野坂上交差点で山手通りを渡り、赤塚不二夫の葬儀が行われた宝仙寺を過ぎ、杉山公園交差点で右折、中野通りへ入り、中野駅に着く。
 中野通りを南下、中野五差路交差点で右折、大久保通りを経て環七通りへ進み、徳川家光の指示で地名となった山門に葵の御紋がついた名刹 高円寺に着く。環七通りを南下、高円寺陸橋下交差点で右折、東京メトロ(旧営団)丸ノ内線が地下を走る青梅街道へ入り、荻窪までひたすら歩く。こ杉並区役所前交差点手前のバタフライ卓球用品の壁には少女時代から福原愛選手を飾っているが、今はすっかり大人の雰囲気を漂わせている。阿佐ヶ谷商店街のすずらん通り、パールセンター入口を過ぎ、天沼陸橋を渡ると荻窪駅に至る。

 荻窪駅から、荻窪の名に由来という荻寺 光明院を訪れた後、環八沿いに北上し、四面道交差点で左折、新緑のいちょう並木の青梅街道へ入る。太田道灌が武運を祈願して植えた道灌槇がある旧上荻窪村の鎮守の荻窪八幡神社、桃井三丁目交差点の日産自動車敷地の角の「旧中島飛行機発動機発祥之地碑」を見つつ、井草八幡宮に着く。
 立派な朱色の大鳥居、豪華な楼門がある井草八幡宮は旧上、下井草村の鎮守で、源頼朝が奥州征伐の戦勝祈願が叶ったことによる頼朝公御手植の松がある。
 善福寺池の上の池は、黄菖蒲が咲き、ボート乗り場もあり、下の池から東京女子大正門に至る。女子大通りから吉祥寺通り、五日市街道へ進み、鳥居前に「神田御上水 井之頭辨財天 道標」がある武蔵野八幡宮に至る。五日市街道を右折して吉祥寺サンロードを歩き、吉祥寺駅北口に着く。
 新緑の吉祥寺通りを南下、弁財天や井の頭池がある井の頭公園、動物園や彫刻館がある井の頭自然文化園を過ぎ、万助橋交差点で右折、風の散歩道(玉川上水)へ入る。風の散歩道(玉川上水)には、みたかシティバスが走り、途中の洋館の山本有三記念館を見てさらに歩き、三鷹駅南口に至る。

 三鷹〜国分寺〜立川

 三鷹市と共同運行している武蔵野市のコミュニティバス ムーバス乗り場がある三鷹駅北口から、玉川上水沿いに桜通りを歩く。玉川上水は北西に進むが、桜通りは道なりに左に曲がり、堀合交差点、境木材市場と経て、アジア大通りの武蔵境駅前交差点で左折、高架化工事の後始末が出来ていない武蔵境駅北口に着く。アジア大通りは、「アジア」大通りではなく、「アジア大(亜細亜大)」通りである。
 工事用の遮蔽板で囲われた南北連絡自由通路を歩き、武蔵境駅の南口からJR線路沿いに東進、突き当りの日本獣医生命科学大学前で右折、武蔵境通りへ入る。結城秀康の三男で島根松江藩の松平直正が創建した杵築大社、武蔵野赤十字病院を過ぎて、日赤病院南交差点で右折、連雀通りへ進む。西武多摩川線の踏切を渡り、東小金井駅入口の標識に従い右折、栗山通りを北上して東小金井駅に至る。

 東小金井駅沿いに歩き、突き当りで左折、東大通りへ入り、紅葉、黄葉で彩られた栗山公園を経て、東町四丁目西交差点で右折、連雀通りに戻る。前原坂上交差点で右折、小金井街道を北上し、武藏小金井駅に着く。
 小金井街道を南下、前原坂上交差点で右折、連雀通りへ戻り、小金井警察署前交差点で新小金井街道を渡り、道なりにJR線路下を進む。小金井市保健センター前交差点で、武蔵小金井駅の北側を線路沿いに走る都道136号(北大通り)が合流、東京学芸大学を過ぎて、本多五丁目交差点で左折、国分寺街道(都道133号)へ入る。正門に日本の宇宙開発発祥の地碑や、王貞治贈呈記念碑がある早稲田実業を通り過ぎ、国分寺本町一丁目交差点で右折、大学通りを歩いて国分寺駅に至る。

 国分寺駅の南口から多喜窪通り(都道145号立川国分寺線)を南下、南町三丁目交差点を過ぎてすぐ下り坂となり、坂を上った所に補聴器のリオンがあって、その向かいが武蔵国分寺公園である。武蔵国分寺公園は、多喜窪通りで二分され、上(北側)は泉地区、下(南)は西元地区である。
 公園案内図によれば、左下角に真姿の池、お鷹の道と書かれているが、肝心の国分寺が表記されていない。清掃係員に尋ねたところ、真姿の池に行けば良い、とのことだったので、西元・南東口に向かう。実は反対の南西に向かうべきだったが、前回の6年前は国分寺の遺跡関係は未整備だったので、国分寺といえば寺としての国分寺と思っていたが、地元の人からは史跡公園などを指すと考えていたらしい。この誤解は後でも繰り返された。

 武蔵国分寺公園の西元・南東口から出て南下、突き当りの細道を下ると真姿の池湧水群で、真姿の池の名のいわれは、平安時代に玉造小町の病気が治ったことによる。右折し、尾張徳川家の御鷹場だったことから湧水の清流に沿う小径をお鷹の道と呼び、進むと武蔵国分寺跡資料館の長屋門があり、その前に史跡の駅がある。係員に国分寺に行く道順を聞いたところ、元町通りへ出ると史跡公園があるとのことだった。
 しかし、本来の国分寺があった史跡公園は、至る所発掘中で立ち入り禁止とか、工事中で、何も無い。いわば広大な枯れ芝生の公園で、東南角にやっと七重塔跡だけがあった。そこでたまたま工事中の係員に現存する国分寺を見たい、と3度目の質問をしたら、全く反対方向に来ていることが分かった。現在地は南東の角で、国分寺は北西の角である。6年前と違い、史跡整備が進められ、国分寺といえば真姿の池湧水群、お鷹の道、整備中の史跡公園などを言うのである。

 七重塔跡から武蔵国分寺跡資料館手前まで戻り、元町通りを西進し、道なりに右に曲がる角に現在の国分寺があり、その先に武蔵国分寺跡資料館、お鷹の道がある。国分寺前の楼門を見た後、角に戻り、北の階段を進むと国分寺仁王門で、階段を上り、薬師堂へ着く。
 国分寺は天平13年(741年)、聖武天皇の命により鎮護国家を祈願して創建された。当時の遺構は無いが、鎌倉幕府滅亡のきっかけとなった分倍河原の合戦で国分寺を焼亡させた新田義貞が寄進した薬師堂が江戸時代に再利用され、仁王門になった。薬師堂から元町通りに出て、西進して坂を上り、国分寺四小入口交差点で左折、多喜窪通りへ戻る。

 多喜窪通りの泉町交差点で右折、府中街道へ入り北上、武蔵野線との接続駅である西国分寺駅を見た後、府中街道を戻り、泉町交差点で右折、多喜窪通りへ進む。府中病院入口交差点、たまらん坂(多摩蘭坂)と過ぎて東二丁目交差点で道なりに右折、旭通りと名前が代わり、牧舎風の趣ある駅舎が改築でなくなった国立駅に着く。きれいに黄葉したイチョウや、紅葉した桜、もみじの並木が美しい大学通りを南下、一橋大学正門に寄った後、大学通りを北上し国立駅に戻る。

 国立駅から富士見通りを南西に進み、国立市公民館の先の京たこ角で右折、国分寺から多喜窪通り、旭通りと言われてきた都道145号(立川国分寺線)へ入る。立川近くまで1車線の一方通行の道路を西進、国立市コミュニティバス「くにっこ」の音大附属小学校東バス停、児童遊園東バス停、立川市コミュニティバス「くるりんバス」の羽衣町二丁目北バス停と過ぎ、南武線の踏切を渡って錦町一丁目交差点で立川通りを渡る。立川駅南口のウインズ通り、いろは通りを西進、立川駅に至る。

 立川〜八王子〜高尾

 立川駅南口からいろは通りを東進、錦町一丁目交差点で右折し、立川通りへ出て南下する。日野橋交差点は五差路で、立川通りはここまでで、左から甲州街道が来て直角に左折し、日野橋に向かう。日野橋交差点で直進、甲州街道へ入り、多摩川に架かる日野橋を渡り、左に多摩モノレールの甲州街道駅がある甲州街道駅入口交差点を過ぎ、日野警察署前交差点に至る。

 甲州街道を進み、新奥多摩街道入口交差点、高幡山不動尊道の碑がある川崎街道入口交差点を経て、日野宿本陣跡に着く。 近藤勇たちが剣術に励んだ天然理心流道場があった所で、新撰組探訪ツアーに欠かせない。さらに歩き、年末恒例餅つきが行われている八坂神社は、由緒、創建共に不詳であるが、近藤周助(近藤勇の養父)の門人たちが奉納した額がある。大河ドラマ新撰組で大盛況だった面影は全くない甲州街道を西進すると、日野駅に着く。

 日野駅から甲州街道の坂を上り、高速中央自動車道下を進み、日野坂交差点で道なりに左折して、日野大坂上交差点から先の右手には日野自動車の本社工場が延々と続く。日野台交差点で左折、都道235号へ入り南下、多摩平五丁目交差点で日野バイパスを渡り、豊田駅に着く。

 豊田駅から都道235号を戻り、豊田駅前交差点で左折、多摩平緑地通りへ入ると、旧富士電機東京工場が続く。富士電機は持株会社制になっており、富士電機ホールディングスの下に富士電機システムズなどがある。富士町交差点で右折、都道155号へ入り、コーポレート・カラーである黄色の建物は目立つが、異様な感じもするファナック日野事業所、JR八高線を跨ぐあかはけ橋を過ぎ、石川入口交差点で左折、甲州街道へ出る。
 浅川(多摩川支流)に架かる大和田橋には、八王子大空襲時の焼夷弾の弾痕を示す茶色のタイルが埋められている。五差路の明神町交差点で直進、歩道橋下を通り東放射線アイロードに入って南西に進み、京王京王線の八王子駅前を通って八王子駅に至る。

 八王子駅から北口駅前通りを北上、八王子駅入口交差点で左折、甲州街道へ進む。国道16号は、八日町交差点で左から甲州街道に入り並進、八幡町交差点で右折する変形な横断をする。追分町交差点で道なりに左折するが、右折すると、ハイキングで有名な陣馬高原に向かう。江戸時代に千人同心頭の屋敷と組屋敷があったと言われる千人町交差点を過ぎると西八王子駅に着く。甲州街道をさらに歩き、多摩御陵入口交差点で右折、てけやき並木の参道へ入ると多摩陵・武蔵野陵(別ページに掲載)である。

 多摩陵・武蔵野陵のけやき並木の参道から多摩御陵入口交差点で右折、甲州街道に進み、すぐの多摩御陵西交差点の右脇から旧甲州道中へ入る。どこまで行っても東京オリンピック記念像は見当たらず、突き当りを左折、高尾街道から町田街道入口交差点で右折、甲州街道へ戻り、高尾駅前交差点で左折して、高尾山薬王院をイメージしたかのような駅舎の高尾駅に至る。

 甲州街道の多摩御陵入口交差点で右折、右に武藏陵墓地参道碑、左に多摩御陵参道の碑があるけやき並木の参道に入る。武藏陵は、陵がある墓所全体を言う。けやき並木の参道を北上、南浅川に架かる南浅川橋を渡り、野球場などの綾南公園がある地点から参道は左に曲がり、西進となる。
 武藏陵入口からうっそうとした杉並木の参道となり、多摩陵と武蔵野陵の分岐点では多摩陵に進む。多摩陵(大正天皇陵)は、鳥居の奥に半球型の陵が見えるが、階段が高く、多摩東陵(貞明皇后陵)との規模の違いが分かる。

 多摩陵から直接武蔵野陵に向かう。大正天皇の陵と違い、ほぼ同じような規模であるが、左の武蔵野陵昭和天皇)の方が年季が入っているので、武蔵野東陵(香淳皇后)と区別できる。杉並木の参道を戻り、武藏陵入口からけやき並木の参道へ進み、多摩御陵入口交差点で右折、甲州街道へ戻る。






 
万歩計 トップ 首都圏の鉄道 目次 東京〜新宿〜三鷹 目次  三鷹〜国分寺〜立川 目次  立川〜八王子〜高尾 目次      ページ トップ