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JR 南武線 武蔵小杉駅
【撮影記録】
平成21年 8月 6日 曇り
09:25〜11:50 11,800歩(概算 9.4km)
南武線 武蔵小杉〜等々力緑地〜武蔵中原〜武蔵溝ノ口
営業距離 5.2km 駅数 4
当初予定では登戸まで歩く予定だったが、今年の異常気象で梅雨時並みの湿度90%前後の蒸し暑さで歩けず、武蔵溝ノ口で終えた。温度は30℃も行かなかったのに、である。 |
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武蔵小杉駅 北口風景
北口はバスターミナルや、タクシー乗り場があり、三菱UFJ銀行や、横浜銀行、NTT、日本医大などのいわゆるビジネス街である。
南口は東急の武蔵小杉駅であるが、雑居ビルが並び、サラリーマン御用達の飲み屋が建ち並ぶ。 |
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武蔵小杉駅 北口風景
青いガラスが特徴で、北口のシンボルとも言える武蔵小杉タワープレイスで、富士通関連の事務所や、クリニックなどが入っている。 |
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南武沿線道路 小杉二丁目交差点で右折
次の交差点は小杉御殿町交差点で、府中街道と交差する。府中街道はその後等々力緑地前を通り、府中に向かう。 |
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南武沿線道路 小杉二丁目交差点で右折
周辺案内図の中央下の赤字が現在地の小杉二丁目交差点で、右折してバス通りを北上し、西明寺に至る。上部の緑の部分は等々力緑地である。 |
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バス通りを北上
片道1車線であるが、両方合わせて1.5車線で、バスとすれ違う時はどちらかが端に寄って停止しなければならない。しかも、普段は駐停車している車が至る所にあり、特にバスは苦労している。 |
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バス通りを北上 西明寺交差点を渡り、中原街道へ
突き当り左に徳川将軍のための小杉御殿に隣接した西明寺があるが、その防衛のため、「カギ」形道になっている。中原街道はこの交差点に奥から来て直角に曲がり、左側に向かう。 |
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中原街道 西明寺
「カギ」形道のため分かりにくいが、突き当り左に西明寺の参道がある。中原街道は直角に右折し、多摩川に向かう。 |
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西明寺 参道 |
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西明寺 参道 小杉御殿と「カギ」の道
御殿の敷地はおよそ一万二千坪(約四万平米)。絵図に表御門、御主殿、御殿番屋敷、御賄屋敷、御蔵、御馬屋敷、裏御門などが示されている。
中原街道はここでカギ形に曲っている。城下町でよく見られるカギ形の道は防衛のために.工夫されたもの。背後の多摩川、さらに西明寺や近くの泉沢寺もあわせて御殿の守りが固められていた。 |
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西明寺 参道 西明寺と小杉学舎
真言宗智山派。境内の弁財天には中興の祖北条時頼にまつわる伝説がある。参道付近はよく公の場として使われた。明治六年には、本堂に「小杉学舎」が置かれ、近代小学教育の場となった。 |
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西明寺 |
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西明寺 仁王門 |
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西明寺 山門 |
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西明寺 縁起
西明寺の名は、遠く弘法大師が勅命を受けて渡支(八〇四)した際の宿坊の寺号に発し、帰国後大師の東国御巡化の砌りこの地に留錫し、高弟泰範上人に命じ堂宇を建立す。その後北条時頼公(一二六三)の信仰篤く当時は最明寺とも称した記録がある。
近世徳川家康公も小杉御殿の隣地西明寺を崇敬し、境内を殺生近世の地と定め、祈祷料として御朱印地を寄付された。
文化三年(一八〇六)仁和寺宮一品親王より菊桐御紋章幔幕を下付された。当時の本堂(大正十四年焼失)昭和九年新築の外、十一面観世音菩薩を安置する観音堂があり、寛永五年(一六二八)長谷川丹後守寄進の鰐口が現存している。また鐘楼堂(昭和三十八年改築)閻魔堂等、七堂伽藍があったと伝えられている。
多摩川の両側にわたり、末寺二十有余の談林として真言密教の法鼓鳴らし、今日に至っている。 |
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西明寺 山門の三つ鱗紋
西明寺縁起によれば鎌倉時代の北条氏の三つ鱗紋である。 |
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西明寺 本堂、鐘楼堂 |
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西明寺 本堂 |
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西明寺 山門脇の道を北上 |
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突き当りを左折
正面に等々力緑地にある等々力陸上競技場の夜間照明塔が見える。 |
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突き当りを左折、等々力陸上競技場沿いに南下 |
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小杉神社
小杉神社を過ぎてすぐ右手に等々力緑地内道路の入口がある。 |
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等々力緑地 案内図
小杉神社の反対側にあり、現在地は中央やや右下の赤文字である。その左の上下の線が緑地内道路である。 |