水道橋〜御茶ノ水〜秋葉原
【関連サイト】 | JR 総武線(平成15年撮影) | |
有名神社 湯島聖堂(旧 昌平黌) | ||
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外堀通り 水道橋交差点 右にに神田川が流れ、左には都立工芸高がある。 |
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外堀通り 神田上水遺構 神田上水は、井の頭池の湧水を水源とする江戸時代初期につくられた日本最古の都市水道です。 文京区関□に堰を設けて上水を取り入れ、小日向台下の裾をとおり小石川後楽園の中をぬけ、水道橋の東側で神田川を掛樋でわたし、神田・日本橋方面に給水されていました。 図の左上が現在地で、右下が江戸川橋近くの江戸川公園にある関口大洗堰である。 |
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外堀通り 神田上水遺構 | |
外堀通り 神田上水分水路 | |
外堀通り 神田上水懸樋(掛樋)跡 江戸時代、神田川に木製の樋を架け、神田上水の水を通し、神田、日本橋方面に給水していました。 明治三十四年(一九〇一)まで、江戸・東京市民に飲み水を供給し続け、日本最古の都市水道として、大きな役割を果たしました。 この樋は、懸樋(掛樋)と呼ばれ、この辺りに架けられていました。 この絵は、江戸時代に描かれたもので、この辺りののどかな風情が感じられます。 |
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外堀通り 神田上水懸樋(掛樋)跡 | |
外堀通りを東進 坂を上った所の左にセンチュリータワーが見え、奥に順天堂大の病院がある。 |
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外堀通り 順天堂前交差点 交差点周辺は順天堂大の付属病院が並び、三叉路を左折すると本郷通りに出る。 |
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外堀通り お茶の水交差点で右折、お茶の水橋を渡る | |
外堀通り お茶の水交差点で右折、お茶の水橋を渡る | |
JR 総武線 御茶ノ水駅 | |
神田川に架かるお茶の水橋からの風景 右手に御茶ノ水駅があり、下流のアーチ橋は聖橋で、左の木立に湯島聖堂がある。 |
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外堀通り 聖橋 聖橋は神田川に架かり、左の湯島「聖」堂と、川向うにあるニコライ「聖」堂の二つの「聖」に由来する。 |
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外堀通り 相生坂(昌平坂) 神田川対岸の駿河台の淡路坂と並ぶので相生坂という。 『東京案内』に、「元禄以来聖堂のありたる地なり、南神田川に沿いて東より西に上る坂を相生坂といい、相生坂より聖堂の東に沿いて、湯島坂に出るものを昌平坂という。昔はこれに並びてその西になお一条の坂あり、これを昌平坂といいしが、寛成中聖堂再建のとき境内に入り、遂に此の坂を昌平坂と呼ぶに至れりり」とある。そして後年、相生坂も昌平坂とよばれるようになった。 昌平とは聖堂に祀られる孔子の生地の昌平郷にちなんで名づけられた。 |
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外堀通り 相生坂(昌平坂) | |
外堀通り 湯島聖堂(旧 昌平黌) 湯島聖堂(旧 昌平黌) 寛永九年(一六三二)、尾張藩主徳川義直 林道春(羅山)をして、上野忍ヶ丘に先聖殿を造営せしめしに始まる。その回禄(火災)の災に罹るや、元禄三年(一六九〇)、将軍綱吉之を今の地に移して、大成殿と称せり。後、寛政十一年(一七九九)大成殿及び杏壇・入徳・仰高諸門を再建し、明治維新の際、大學を此地に置くに及び、一旦孔子以下の諸像を撤去せしも、後、旧に復せり。 建造物は暫く東京博物館の一部に充てたりしが、大正十二年(一九二三)九月一日、関東大震災の為、入徳門・水屋等を除くの外、悉く焼亡せしを昭和十年(一九三五)四月四日鐡筋混凝立構造に依りて原型に復せり。 |
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外堀通り 昌平橋交差点 | |
外堀通り 昌平橋交差点 外堀通りはこの交差点で右折し、昌平橋を渡って淡路町交差点に向かう。今までの道は国道17号となって歩く。 |
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国道17号 昌平橋 昌平橋の架設はきわめて古く、寛永年間(一六二四〜四四)と伝えられています。この橋は、一口橋(芋洗橋)、相生橋などと呼ばれたこともあります。 |
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国道17号 昌平橋 | |
国道17号 万世橋交差点 左折して中央通りを歩くと秋葉原電気街、右折すると神田を経て銀座に向かう。ここでは交差点を渡って直進する。 |
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秋葉原風景 時の首相に因んだ饅頭は小泉元首相の純ちゃん饅頭に始まるが、今までは靖国神社で売られているだけだった。現在の麻生首相になってから、漫画おたくのせいもあり、さまざまなバリエーションの饅頭が秋葉原でも売られるようになった。 |
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秋葉原駅前風景 秋葉原再開発の一環で、北側の風景は一変した。左手は秋葉原ダイビル、隣接して奥にあるのは秋葉原UDX、右の高いビルは富士ソフト秋葉原ビルである。 |
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JR 総武線 秋葉原駅 以前は秋葉原デパートが駅ビルとしてあったが、老朽化で平成18年の大晦日に閉店、再開発が始められた。 |