横浜〜弘明寺〜上大岡

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しゅうまいの崎陽軒 本社 しゅうまいの崎陽軒 本社 

横浜駅南側の横浜中央郵便局前にある。
しゅうまいの崎陽軒 本社 しゅうまいの崎陽軒 本社 
左折して横浜駅根岸道路を南進。 左折して横浜駅根岸道路を南進。 
京急 戸部駅 京急 戸部駅 

国道1号をまたがる鉄橋を渡った所に駅がある。
横浜駅根岸道路を南進。 横浜駅根岸道路を南進。 
史蹟 御所五郎丸之墓 史蹟 御所五郎丸之墓 

横浜駅根岸道路を歩いていると、写真のような大きな木柱が立っており、左を見ると墓が見える。
史蹟 御所五郎丸之墓 史蹟 御所五郎丸之墓 
史蹟 御所五郎丸之墓 史蹟 御所五郎丸之墓 

この墓は御所五郎丸を祭ったものである。五郎丸は建久四年(一一九三年)五月二十八日源頼朝が富士の巻狩りをした夜、曾我兄弟の父の仇工藤祐経を討ちとった。その時兄弟を祐経の館に導き本望を遂げさせた後、弟五郎時宗を捕らえ頼朝に差出した。
ちなみに、この地一帯を御所山と言う。又、碑文では時宗であるが、大辞林では時致と書かれている。
戸部小から見た横浜ランドマークタワー 戸部小から見た横浜ランドマークタワー 

「ランドマークタワー」と言う名の通り、あちこちで見える。六本木ヒルズの森タワーのようにである。
横浜駅根岸道路を南進。 横浜駅根岸道路を南進。 
野毛坂通りを過ぎる。 野毛坂通りを過ぎる。 

左折し、野毛坂通りを下ると桜木町駅に到る。
日ノ出町交差点で右折、平戸桜木通りに向かう。 日ノ出町交差点で右折、平戸桜木通りに向かう。 
京急 日ノ出町駅 京急 日ノ出町駅 
京急 日ノ出町駅周辺図 京急 日ノ出町駅周辺図 

中央下の緑のブロックは野毛山公園で、左右に流れる大岡川沿いに平戸桜木通りが通り、京急本線はこの間を走る。
京急 黄金町駅 京急 黄金町駅 
京急 南太田駅 京急 南太田駅 
西中山 常照寺 西中山 常照寺
 
京急 南太田駅に隣接、と言うか後述するように駅が参道をまたぐ形になっている。
西中山 常照寺 西中山 常照寺 
西中山 常照寺 西中山 常照寺 

葵の紋であり、由緒正しいと思われるが、境内はもちろんYAHOOなどで調べても分からなかった。境内には南無妙法蓮華経のひげ文字が至る所にあり、日蓮宗系であることは分かる。
西中山 常照寺 西中山 常照寺 
西中山 常照寺からも見えるランドマークタワー 西中山 常照寺からも見えるランドマークタワー 
西中山 常照寺 西中山 常照寺 
西中山 常照寺 西中山 常照寺 
西中山 常照寺の参道をまたぐ京急 南太田駅 西中山 常照寺の参道をまたぐ京急 南太田駅 
横浜商業高校 通称Y校 横浜商業高校 通称Y校 
平戸桜木通りを西進 平戸桜木通りを西進 
京急 井土ヶ谷駅 京急 井土ヶ谷駅 
京急 弘明寺駅 京急 弘明寺駅 
弘明寺 弘明寺 

弘明寺は、瑞応山蓮華院と号す真言宗の寺院で寺伝によると、「今を去る1200余年前、天正天皇の養老5年(?21)、インドの善無畏三蔵法師が仏教弘通のためヽ白本渡来の節開創されたお寺で、それより17年後、聖武天皇の天平9年、諸国に悪病流行の際、行基菩薩が勅命により、天下泰平祈願のため全国巡錫の際、当山の霊域を感得し草庵をつくり観音様を彫刻し、安置せられた。」とあります。
鎌倉時代には、源家累代の祈願所とされました。
弘明寺 弘明寺 
弘明寺 弘明寺 
弘明寺 弘明寺 
弘明寺かんのん通り 弘明寺かんのん通り 

弘明寺は京急の弘明寺駅に隣接し、鎌倉通り側の横浜市営地下鉄の弘明寺駅とを結ぶ参道の商店街である。
鎌倉街道の碑 鎌倉街道の碑 

弘明寺かんのん通りを出たところで、横浜国大の付属中学校の所にある。
横浜国大 付属中学校 横浜国大 付属中学校 
旧横浜高等工業学校発祥の地碑 旧横浜高等工業学校発祥の地碑 

現在の横浜国立大学工学部である。
京急 上大岡駅 京急 上大岡駅 


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