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第一京浜 みなみ児童遊園の桜
3〜4分咲きであるが、この桜だけが例外であった。 |
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第一京浜 南大井歩道橋で歩道がなくなり、左折
この先に鈴ヶ森刑場跡があるはずだが、と思いつつ左折する。 |
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第一京浜 突き当りを右折
突き当たりのめばえ幼稚園に沿って歩く。 |
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第一京浜 鈴ヶ森刑場跡と大経寺
大経寺は鈴ヶ森で処刑された人の供養のために作られた寺で、刑場跡の真向かいにある。斎場も兼ねており、寺と言うよりイベントホールの概観である。 |
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第一京浜 鈴ヶ森刑場跡 水難者供養塔 |
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第一京浜 鈴ヶ森刑場跡 火炙台
八百屋お七を初め、火炙の処刑者は皆この石上で生きたまま焼き殺された。真中の穴に鉄柱を立て足元に薪を積み縛り付けて処刑されたのである。 |
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第一京浜 鈴ヶ森刑場跡 磔台
丸橋忠弥を初め、罪人がこの台の上で処刑された。真中の穴に丈余の角柱が立てられ、その上部に縛り付けて刺殺したのである。
ちなみに鈴ヶ森で最初の処刑者は、由比正雪とともに幕府転覆を企てたといわれる丸橋忠弥である。 |
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第一京浜 鈴ヶ森刑場跡 鈴ヶ森刑場受刑者之墓 |
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第一京浜 鈴ヶ森刑場跡 |
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第一京浜 鈴ヶ森刑場跡
寛政十一年(一七九九)の大井村「村方明細書上}の写によると、慶安四年(一六五一)に開設された御仕置場で、東海道に面しており、規模は元禄八年(一六五九)に実施された検地では、間口四〇間(七四メートル)、奥行九間(一六・ニメートル)であったという。
歌舞伎の舞台でおなじみのひげ題目を刻んだ石碑は、元禄六年(一六九三)池上本門寺日の記した題目供養碑で、処刑者の供養のために建てられたものである。大経寺境内には、火あぶりや、はりつけに使用したという岩石が残っている。
ここで処刑された者のうち、丸橋忠弥、天一坊、白井権八、八百屋お七、白木屋お駒などは演劇などによってよく知られている。
江戸刑制史上、小塚原とともに重要な遺跡である。 |
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第一京浜 鈴ヶ森刑場跡 |
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第一京浜 鈴ヶ森刑場跡
鈴ヶ森刑場は小塚原とならぶ江戸の処刑場で、慶安4年(1651)に開設された。ここには、火あぶりの刑やはりつけの刑に使用された石台や、歌舞伎の舞台で有名なひげ題目の供養塔などがある。最初の処刑は由井正雪の乱に加わった丸橋忠弥だといわれ、明治4年(1871)に廃止されるまでに処刑されたなかには、平井権八、天一坊、八百屋お七など、歌舞伎や講談でおなじみの人物も多い。 |
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第一京浜 鈴ヶ森交差点
左の海岸通り(都道316号)と第一京浜とが交差する所が鈴ヶ森交差点である。 |
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第一京浜 鈴ヶ森交差点歩道橋から見た鈴ヶ森刑場跡 |
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第一京浜 鈴ヶ森交差点 |
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第一京浜 鈴ヶ森交差点 |
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第一京浜 大森海岸駅前交差点 |
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京急 本線 大森海岸駅 |