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称名寺(惣門(赤門)〜二王門〜金堂)

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名刹 称名寺(金沢文庫) 惣門(赤門) 名刹 称名寺(金沢文庫) 惣門(赤門) 

称名寺の南辺を限る朱塗門。明和八年(一七七一)に再建。
四脚門、切妻造、本瓦葺(再建当初は茅葺)。
名刹 称名寺(金沢文庫) 界隈案内図 名刹 称名寺(金沢文庫) 界隈案内図 

中央やや左の緑のブロックが称名寺である。右上の水色の部分は八景島である。
名刹 称名寺(金沢文庫) 桜並木の参道 名刹 称名寺(金沢文庫) 桜並木の参道 

葉桜の並木であるが、桜の時期には立派な参道になると思う。
名刹 称名寺(金沢文庫) 称名寺塔頭光明院表門 名刹 称名寺(金沢文庫) 称名寺塔頭光明院表門 
名刹 称名寺(金沢文庫) 称名寺塔頭光明院表門 名刹 称名寺(金沢文庫) 称名寺塔頭光明院表門 

横浜市指定有形文化財(建造物)

構造及び形式 四脚門、切妻造茅葺、袖塀付
時代 寛文五年(一六六五)

 光明院は、称名寺の塔頭のひとつで、「新編武蔵風土記稿」に「光明院、仁王門に向って左にあり、五院の第一臈なり、本尊地蔵春日の作なり」とあり、江戸時代後期には、五つの塔頭の一位を占めていました。
 この表門は、小規模な四脚門ですが、和様を基調に禅宗様を加味した意匠となっています。また、市外から近年移築された三渓園の建造物などを別にすれば、造営年代が判明する市内の建造物のなかで最も古く、極めて貴重です。
名刹 称名寺(金沢文庫) 称名寺塔頭光明院表門 名刹 称名寺(金沢文庫) 称名寺塔頭光明院表門 

表門の後は駐車場で、光明院も重みを感じさせない。
名刹 称名寺(金沢文庫) 二王門 名刹 称名寺(金沢文庫) 二王門 

禅宗様。文政元年(一八一八)に再建。
三間一戸の楼門、入母屋造、軒唐破風付、
銅板葺(再建当初は茅葺)。
木造金剛力士立像(元亨三年、神奈川県指定重要文化財)。

左右に仁王があるが、仁王門ではなく、二王門と呼ばれている。
名刹 称名寺(金沢文庫) 称名寺市民の森案内図 名刹 称名寺(金沢文庫) 称名寺市民の森案内図 
名刹 称名寺(金沢文庫) 庭園 名刹 称名寺(金沢文庫) 庭園 
名刹 称名寺(金沢文庫) 庭園 名刹 称名寺(金沢文庫) 庭園 

 称名寺の庭園は、元亨三年(1323)に描かれた重文「称名寺絵図結界記」によって、伽藍の配置と共に完成時の姿を知ることができます。
 庭園は、金沢貞顕の時代の文保三年(1319)から、翌年の元応二年にかけて造られました。
 作庭には性一法師が携わり、青嶋石を使用した90数個の景石を、中島や池の周囲に大量の白砂と共に配置することなどを指示し、その満々と水が注がれた苑池には貞顕から贈られた水鳥が放され、ここに伽藍の美観の要とされる浄土庭園の完成が見られました。
 苑池は金堂の前池として、浄土思想の荘厳のために設けられたもので、南の仁王門を入り、池を東西に二分するように中島に架かる反橋と平橋を渡って金堂に達するようになっています。
 このような配置は、平安時代中期以降盛んになった、浄土曼荼羅の構図に基づき造られた浄土庭園の系列にあるもので、称名寺の庭園は、時代的に浄土庭園の基本的な形態を残す最後のものとして、庭園史上高い評価を得ております。
名刹 称名寺(金沢文庫) 阿字ヶ池、反橋 名刹 称名寺(金沢文庫) 阿字ヶ池、反橋 
名刹 称名寺(金沢文庫) 阿字ヶ池、反橋から見た金堂 名刹 称名寺(金沢文庫) 阿字ヶ池、反橋から見た金堂 

反橋(太鼓橋)に普通の橋(平橋)が付けられている。
名刹 称名寺(金沢文庫) 阿字ヶ池、反橋、平橋 名刹 称名寺(金沢文庫) 阿字ヶ池、反橋、平橋 
名刹 称名寺(金沢文庫) 鐘楼 名刹 称名寺(金沢文庫) 鐘楼 
名刹 称名寺(金沢文庫) 金堂 名刹 称名寺(金沢文庫) 金堂 

禅宗様。天和元年(一六八一)に再建。
桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、
本瓦葺(再建当初は茅葺)。
名刹 称名寺(金沢文庫) 称名寺境内 名刹 称名寺(金沢文庫) 称名寺境内 

 称名寺は、金沢山称名寺と号し、真言律宗の別格本山として西大寺末の律院で、本尊には木造弥勒菩薩立像(鎌倉時代、重要文化財)が安置されています。
 本寺は、金沢北条氏一門の菩提寺で、草創の時期は明らかにしていませんが、正嘉二年(一二五八)、金沢氏の祖と称されてぃる北条実時(一二二四〜一二七六)が、六浦荘金沢の居館内に営んだ持仏堂から発したと推定されています。
 その後、称名寺の基礎が定まるとともに伽藍の整備が着手され、実時の子、顕時(一二四八〜一三〇一)の時代には、弥勒堂、護摩堂、三重塔などが建立され、さらに、顕時の子、貞顕(一二七八〜一三三三)は伽藍の再造営を行い、元亨三年(一三二三)には、苑池を中心として弥勒来迎板絵(重要文化財)に荘厳された金を初め、講堂、仁王門など、七堂伽藍を備えた壮麗な浄土曼荼羅にもとづく伽藍を完成させました。
  しかし、元弘三年(一三三三)、北条氏の滅亡により鎌倉幕府の崩壊を契機として伽藍の維持が困難となり、江戸時代に入ると創建当時の堂塔の姿を失いました。
 大正十一年、称名寺の内界である中心区域が国指定を受け、更に、昭和四七年、境内背後の丘陵を含めた範囲が指定されるとともに、昭和六二年には、庭園苑池の保存整備事業が行われました。
名刹 称名寺(金沢文庫) 称名寺境内 名刹 称名寺(金沢文庫) 称名寺境内 
名刹 称名寺(金沢文庫) 称名寺境内 名刹 称名寺(金沢文庫) 称名寺境内 
名刹 称名寺(金沢文庫) 史跡内の主な建造物 名刹 称名寺(金沢文庫) 史跡内の主な建造物 

惣門(赤門)
 称名寺の南辺を限る朱塗門。明和八年(一七七一)に再建。
 四脚門、切妻造、本瓦葺(再建当初は茅葺)。
金堂
 禅宗様。天和元年(一六八一)に再建。
 桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、
 本瓦葺(再建当初は茅葺)。
仁王門
 禅宗様。文政元年(一八一八)に再建。
 三間一戸の楼門、入母屋造、軒唐破風付、
 銅板葺(再建当初は茅葺)。
 木造金剛力士立像(元亨三年、神奈川県指定重要文化財)。
新宮
 称名寺の鎮守。寛政二年(一七九〇)に再建。
 三間社造、銅板葺(再建当初は茅葺)。
釈迦堂
 禅宗様。文久二年(一八六二)に建立。
 方三間、廻縁付、宝形造、茅葺。
光明院表門
 禅宗様。寛文五年(一六六五)に建立。
 四脚門、袖塀付、切妻造、茅茸。
名刹 称名寺(金沢文庫) 釈迦堂 名刹 称名寺(金沢文庫) 釈迦堂 

禅宗様。文久二年(一八六二)に建立。
方三間、廻縁付、宝形造、茅葺。



 
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