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【関連サイト】   京王 井の頭線(平成16年)


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環八通りを戻り、セブンイレブン前交差点で左折、人見街道へ 環八通りを戻り、セブンイレブン前交差点で左折、人見街道へ 
人見街道 武蔵野ローンテニスクラブ 人見街道 武蔵野ローンテニスクラブ 
人見街道 武蔵野ローンテニスクラブ 人見街道 武蔵野ローンテニスクラブ 

左手前の建物はインドアテニス場で、外からも練習風景を見ることが出来る。
人見街道 セブンイレブン前交差点で左折 人見街道 セブンイレブン前交差点で左折 

ここも高井戸駅に向かった時と同じく、交差点名はなく、同じセブンイレブン前の交差点を左折する。富士見ヶ丘駅までは商店街をかなり歩くが、2車線と言うには狭く、歩行者を無視してスピードを出す車もあり、危険でもある。
富士見ヶ丘駅前 斎場建設現場 富士見ヶ丘駅前 斎場建設現場 

白い塀の反対側に富士見ヶ丘駅があり、一等地の駅前に斎場、と言うのでは「葬儀場反対」の黄色い幟が林立するのも理解できる。
井の頭線 富士見ヶ丘駅 井の頭線 富士見ヶ丘駅 
セブンイレブン前交差点で左折、人見街道に戻る セブンイレブン前交差点で左折、人見街道に戻る 
人見街道 人見街道の由来 人見街道 人見街道の由来 

 この前の道は、人見街道です。浜田山駅北側の、井の頭通りの分岐を起点に高井戸東・高井戸西・久我山を通って府中若松町の新小金井街道に接する約十二キロの都道です。うち区内延長は約三・三キロです。路線名は府中の人見村にちなむもので、昭和五十九年四月に正式な通称名となりました。
その際旧来の人見街道(上高井戸の甲州街道から分かれ区南西部の区境辺を走っていた)の道筋変更がはかられ、区内を含む上の部分が新しく人見街道に組み込まれたのです。これが久我山街道と呼ばれていた道です。
 この道は、区内の古道の一つで、武蔵国府府中(今の府中市)から大宮(今の埼玉県)に行く大宮街道、下総の国府(今の市川市)へ通ずる下総街道の道筋であったと言われ、近世以前は東西を結ぶ重要な道路であったと考えられています。
江戸時代に入って甲州街道ができると、脇街道的な性格を強め府中道などと呼ばれました。近くの久我山五の九の辻にある石塔には「これよりみぎいのかしらみち」とあり、井の頭への道として利用されていたこともわかります。
 その後、昭和初年に久我山駅辺の直線化や拡幅などの改修が行われ今日に至っています。道筋には、都の天然記念物横倉邸のケヤキ並木を始め、古刹松林寺、大熊稲荷神社、二基の庚申塔などの文化財が点在し、その歴史を証言しています。
人見街道 享保七年銘 道標付庚申塔 人見街道 享保七年銘 道標付庚申塔 

 この庚申塚は、道標付庚申塚として、区内で最も古く、享保七年(一七二二)に造立されたものです。
 庚申信仰は「長生きするためには、庚申の夜は身を慎しみ、諸善を行い、徹夜をすべきである」という中国の道教説から始ったようです。それが日本に伝わってからは、中世以降仏教や神道の信仰と習合して、庶民の間にひろまりました。
 江戸時代には、ここに見られるような青面金剛を本尊として邪鬼を踏まえ、不見・不聞・不言の三猿、二鶏等が彫られるようになり、石塔を造立し、悪疫退散、村内安全等の祈願を行うことが盛んになりました。
 この庚申塚は、道標として側面に、「これよりみぎいのかしら三ち」・「これよりひだりふちう三ち」と刻まれ、かっては、井の頭弁財天信仰者の道しるべとなっていたように思われます。
 また、この庚申塚は、当初からこの分岐点に造立され、願主名も列記されており、近世における久我山の歴史や交通路を知るうえで、一つの重要な資料といえます。
 以上のことから、この庚申塚は、杉並区有形文化財として登録されました。
人見街道 享保七年銘 道標付庚申塔 人見街道 享保七年銘 道標付庚申塔 

側面の文字は磨滅しており、全く読むことはできない。
井の頭線 久我山駅 井の頭線 久我山駅 

久我山駅は、人見街道を歩いて踏切を渡り、すぐ右手奥にある。踏切は開かずの踏切とは言わないが、頻繁に電車が往来し、渡るのが面倒である。
六地蔵通りを北上 六地蔵通りを北上 

久我山駅前の商店街から普通の住宅街に変わるが、このようなプレートが民家の塀に付けられている。人見街道では何回か見たが、名前があることが信じられないような片道通行の住宅街なのに、である。

六地蔵通りとは、「昭和25年頃まで六地蔵が安置されていた道」との説明もある。
六地蔵通り 杉並区コミュニティバス すぎ丸(かえで路線) 六地蔵通り 杉並区コミュニティバス すぎ丸(かえで路線) 

かえで路線は、久我山駅とJR西荻駅とを結ぶコミュニティバスである。
六地蔵通り 杉並区コミュニティバス すぎ丸(かえで路線) 六地蔵通り 杉並区コミュニティバス すぎ丸(かえで路線) 

浜田山を走っていた「けやき路線」のバスとデザインは同じように見える。
六地蔵通り 西宮中学校裏交差点で左折、新田縁通りへ 六地蔵通り 西宮中学校裏交差点で左折、新田縁通りへ 
新田縁通りを西進 新田縁通りを西進 

新田縁(しんでん ぶち)通りとは、徳川家綱の代(1660年頃)に開墾された大宮前新田の南端の道である。
新田縁通り 立教女学院 新田縁通り 立教女学院 

天使園(幼稚園)から短大まであるいかにもクリスチャン系の学園、と言う趣である。

立教女学院前交差点があるが、左側は学園で、右折すると井ノ頭通りに向かう。
新田縁通り 立教女学院 新田縁通り 立教女学院 
新田縁通り 立教女学院 新田縁通り 立教女学院 
三鷹台駅前通り 立教女学院東沿いに南下 三鷹台駅前通り 立教女学院東沿いに南下 
井の頭線 三鷹台駅 井の頭線 三鷹台駅 
三鷹台駅前通り 神田川に架かる丸山橋 三鷹台駅前通り 神田川に架かる丸山橋 

神田川は井の頭公園の井の頭池を源流とし、ここらは上流にあたるが、ゴミ川に近い雰囲気である。
井の頭線 三鷹台駅 井の頭線 三鷹台駅 



 
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